1988年9月4日(日) 広島電鉄~可部線

1988(昭和63)年の夏休みの終盤に、山陰~中国地方を旅行した。
 この時は、京都から大阪に出て、夜行急行「だいせん」に乗って車中泊。翌朝、宍道駅で木次線に乗り換え。映画「砂の器」で有名になった亀嵩駅で下車して、駅舎を兼ねた蕎麦屋さんで「出雲そば」を食べたり、出雲坂根駅のスイッチバックなどを楽しんだ後、三次駅前にあるホテルで1泊。
 さらに次の朝、芸備線に乗って広島へ向かい、広島駅前からは広島電鉄の路面電車に乗って市内を周遊する。

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路面電車と言えば、自分が小学生だった頃まで京都市内を走っていた市電をイメージしてしまうのだが、ここ広島では近代的な3車体の連接車が走っているなど、全く違って見えた。

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だが、ここには京都だけではなく、かつて大阪や神戸を走っていた元「市電」も数多く走っていて、さながら博物館のようだった。

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吊り掛けモーターの音が響く中、スピードが出た時にある「横揺れ」が懐かしかったし、車窓から見える景色も、どことなく郷愁を感じてしまう。

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ひとしきり広島電鉄の路面電車を楽しんだ後は、再びJRの旅に戻る。

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この当時、広島地区の115系は「ひろしまcity電車」のヘッドマークを掲げていたものが多かった。

その後、横川駅から可部線の電車に乗り、可部駅にてキハ47系で編成されたディーゼルカーに乗り継ぐ。ここからは非電化区間である。

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この区間では、タブレットが現役で、腕木式信号機も健在だった。

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ローカル線では、冷房を搭載していない車両ばかりが運用されていた当時、暑い時期になると先頭車の貫通路を開け放ったまま走っている光景がよく見られた。今なら考えられないことだが…。

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次第に山深くに入っていき、旧山陰線の保津峡や、旧福知山線の武田尾辺りに似た景色が広がってきた。

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終点の三段峡駅の駅舎の前には、昔、ここで使われていたのだろうか、C11-189号機が静態保存されていた。ちなみに、この三段峡から先の区間は、山陰線の浜田まで「今福線」として1974(昭和49)年から建設が進められていたが、国鉄の赤字が深刻化し、再建法が成立した後の1980(昭和55)年、建設が凍結された。さらには乗客の少なさから、非電化区間の可部-三段峡も2003(平成15)年12月1日に廃止されたが、2017(平成29)年3月4日に可部-あき亀山駅間が電化された上で、僅か1.6kmの区間ではあるが復活した。一度廃止された路線が同じルートで復活した、レアなケースではある。

ところで、三段峡駅前にあったC11は、駅の廃止後、別の場所に移動してしまったようだ。駅舎やホームは解体され、今はモニュメントが残るのみらしい。
 路線や駅が無くなると、飾ってあったSLまで姿を消すとは、何だか切ないものがある。恐らく、自分が訪れた時より、いっそう過疎化が進んでしまっているのではないだろうか。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。