1983(昭和58)年の夏休み、何年、いや何十年ぶりかで復活運転する列車の運行が発表されていた。そのうちの一つは、戦後間もなく最初に復活運転された特急「平和」で、もう一つは新幹線の岡山開業(1972【昭和47】年)まで運転されていた特急「うずしお」だった。どちらも往時の姿ではなく、「現代版」という感じだったので、ちょっと残念だったが、今では、こういう企画すら出来ないことだろう。
その日は、いつものように他の列車も撮影していた。
大阪行き寝台特急「日本海4号」がやって来た。当時、ヘッドマークは無く、寂しい時代ではあった。
485系の特急「雷鳥」は、ボンネット型あり、貫通型あり、非貫通型あり、489系あり、583系あり…とバラエティには富んでいたが、頻繁に姿を見せるため、撮り飽きた存在でもあったので、いつも最初の数本だけ撮影している感じだった。
大阪発、青森行きの特急「白鳥」も485系だったが、絵入りマークを除けば、見た目は「雷鳥」と違いがなかった。
特急「雷鳥」で最も多く見かけたのは、貫通型のクハ485-200番台だった気がするが、調べてみたら、割合としてはボンネット型も同じぐらいだったようだ。
当時、寝台特急「なは」は客車のブルートレインではなく、583系の電車だった。
EF65一般型が牽引する、普通貨物列車がやって来た。2軸貨車が連なっており、「ドンドンドン」と規則正しいジョイント音が聞こえるのが特徴的ではあった。
同じEF65一般型でも、コンテナ車を連ねた高速貨物列車をけん引することもあった。
ブルートレインのけん引からは引退し、もっぱら荷物列車や臨時客車列車で最後の活躍をしていたEF58。このときは、単機回送の54号機が目の前を通って行った。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。