1987年5月9日(土) 京阪電鉄・その2

大阪と京都を結ぶ私鉄の一つ、京阪電鉄は、今では京都市中心部の区間は地下を走っているが、かつては鴨川の堰堤沿いを走っていた。
 今から30年以上も前の1987(昭和62)年5月24日に、七条-五条(現・清水五条)-三条の区間で地下化された。

地下への切り替えが迫った頃、地上を走る京阪電車を撮影に出掛けた。

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かつての特急車1900系も、車体が一般用の緑色に塗り替えられ、普通列車に使われていた。

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当時は、日本を走る車両の中で、最も車体のドア数(5つ)が最も多かった5000系。その後、JRに6扉車が登場したが、皮肉なことに既に姿を消してしまっている。この京阪5000系も、今では車体の色は変わったが、今年で誕生50年を迎えてなお現役バリバリだ。

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この当時、特急といえば、99%が京阪特急色に塗られた専用車である3000系だった。たまに緑色の一般車が特急で「代走」することもあったが、滅多に見られないものだった。

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今も現役車両の中では最古参である2200系も、方向幕を装備した車体更新車が走り始めていた。

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当時、最新鋭だった6000系。それまでの京阪電車スタイルとは大幅に変わったデザインが特徴で、(当時でも)賛否を呼んでいた。

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大阪淀屋橋に向かって出発していく特急を、ホームの駅員が見送る。最後尾の車両に乗る車掌さんが、こちらを向いて敬礼しているのが窓越しに見えた。今では、ホーム上に駅員の姿を見ることそのものが珍しいことになってしまった。

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京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。