鉄道写真を取り始めた最初の頃は、小学生だったこともあり、もっぱら駅での撮影が多かった。市電で往復して、京都駅の入場券も含めて、総額300円以内で済んだので、小学生の少ない小遣いでも、月に1~2回は通うことが出来た。
朝、京都駅に着くと、最初に撮影するのは、決まって、西鹿児島発、京都止まりの寝台特急「明星」だった。客車であるブルートレインでも運行されていた「明星」だったが、京都発着の列車は583系の寝台電車だった。
大阪と北陸方面を結ぶ急行「ゆのくに」は、殆どが475系だったが、1往復のみキハ28・58系で運転されていた。当時、非電化だった七尾線に直通する運用があったためだ。
京都駅1番ホームの西端は、そのまま山陰1番ホームにつながっていた。その山陰1番ホームに、京都と山陰方面を結ぶキハ82系の特急「あさしお」が入線してきた。
山陰線のホームにいると、東海道線下りの一般貨物列車がEF66を先頭に通過していく。当時は、EF66も一般貨物をけん引していたが、見るからに力を持て余している感じもした。
山陰線の機回し線に、キハ28・58系の急行「平安」が待機していた。4両編成だが、グリーン車も組み込まれていた。
1番ホームには、1~2時間に1本、必ずのように485系の特急「雷鳥」が姿を見せていた。ボンネット型あり、貫通型あり、非貫通型あり、ではあったが、余りにも数多く走っていて、頻繁にその姿を見るため、撮影する機会が多過ぎて、早くに「見飽きた存在」になってしまった。
7番ホームに行くと、上りの特急「雷鳥」が姿を見せたが、485系に見えて、急勾配の横川-軽井沢の通過に対応した489系だった。当時、489系は主に北陸と関東を信越線経由で結ぶ特急に使われていたが、間合い運用で特急「雷鳥」に使われ、大阪や京都に顔を出しているものもあった。
7番ホームと奈良線8番ホームの間にある留置線に、愛称名の表示が出ていない24系25形ブルートレインの編成が止まっていた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。