梅雨真っ只中の2010(平成22)年7月初旬、実に32年ぶりに鉄道で信楽に行くことになった。
もちろん、小学生だった32年前に乗車した時は「国鉄・信楽線」で、草津駅から草津線の柘植行きの列車に併結されたキハ52に乗り、貴生川駅で切り離された後、信楽駅に辿り着いたのだった。貴生川から信楽までは1両編成だったので、車内は混んでいて、座席に座ることは出来ず、最後まで立ったままだった。
あれから30年余りが過ぎて、国鉄信楽線は、JR信楽線に変わり、さらに第3セクターの信楽高原鐵道に変わった。その間、1991(平成3)年5月に、当時、信楽で開催されていた世界陶芸祭に合わせて乗り入れていたJRの臨時列車と正面衝突事故が起きて、42名が亡くなるという惨事になり、一時は存亡の危機に陥ったが、地元住民の愛着の深さで、今日まで存続に至っている。
雨の降る中、「七夕列車」のヘッドマークを付けた列車が貴生川駅のホームに姿を現した。
土曜日ということもあり、親子連れを中心に多くの乗客が乗り降りしていた。
車内では七夕の飾り付けが行われていた。
列車が出発すると同時に演奏会が始まっていたが、元々が峠を越える路線なので、上り坂ではエンジン音がうるさく、メロディーがよく聞こえなかった(苦笑)。しかし、峠を越えて下り坂に入ると惰性で走るようになり、エンジン音が静かになった一方で、車輪がレールの継ぎ目を拾って奏でるジョイント音が、まるでドラムのように規則正しいリズムを刻んでいた。
信楽駅に到着すると、ホームにも七夕飾りが取り付けられていた。
改札口前のコンコースでは、ゆるキャラが木琴ならぬ「竹琴」を演奏して、降り立った乗客を出迎えていたのだった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。