昭和時代が「還暦」を迎えた1985年の春、東京を経て東北を一周する旅に出た。この時は、あの有名な演歌よろしく、上野発の夜行列車に乗って青森駅に降り立った。
自分たちがお世話になった寝台特急「ゆうづる」が青森駅から車庫へ回送されて行ったが、なぜか最後尾のオハネフ25には「紀伊」のテールマークが表示されていた。
当時、朝の青森駅には上野発の夜行列車が次々に到着していて、カメラを手にした鉄道ファンがホームを忙しく走り回っていた。
青森駅は行き止まり式のホームなので、客車である寝台特急=ブルートレインが到着すると、機関車を前後に付け替える「機回し作業」が必ず行われていた。
青函連絡船の桟橋では、連絡船に積み込む貨車の入れ替え作業が慌ただしく行われていた。
この頃は、まだ普通列車に旧型客車の姿があったが、半分ぐらいは新鋭の真っ赤な50系客車に置き換えられていた。
東北線の盛岡まで東北新幹線が開業していたが、その先、青森までは特急「はつかり」が新幹線との連絡を請け負っており、数多く運行されていた。北海道から転属してきた485系1500番台も入り混じって活躍していた。
秋田-青森間を結ぶ急行が格上げされて、3月14日のダイヤ改正で登場したばかりの特急「むつ」の姿もあったが、翌年11月1日には廃止されてしまい、僅か1年8ヶ月の命だった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。