国鉄がJRに変わって1年が過ぎようとしていた1988(昭和63)年3月、27年の歳月をかけて建設された青函トンネルが開業の日を迎えた。
その日となる3月13日(日)は、運航最終日を迎えた青函連絡船と、開業初日の青函トンネルの両方で利用が可能という、特異な一日になった。
青函トンネルが開業する前日の3月12日(土)は、まだ青函連絡船による貨物の航送が行われていた。青森駅の広い構内には、まだJNR(国鉄)マークの付いたコンテナを積んだ貨物列車が何本も積み込みを待っていた。
DE10が、重い機関車が桟橋に乗らないように(機関車と)貨車との間に連結する「控車」を3両挟んで、連絡船への積み込み作業を行っていた。
日が暮れて、桟橋には、この日の夜にお世話になる、夜行便の八甲田丸が接岸していた。
日付が変わり、函館駅に到着すると、一番電車である「はつかり」が青函トンネルを経由して青森の方へ出発した行った。その後、ED79が真新しいヘッドマークも誇らしげに、快速「海峡」をけん引してホームに姿を見せた。
車内には、どこかで見たことのあるシートがずらり。それもそのはず、廃車になった0系新幹線から転用した転換クロスシートが並んでいた。
夜が明けると、前夜にお世話になった八甲田丸が朝日に輝いていたが、この日から貨物列車は青函トンネル経由になったので、もはや貨車の積み込みは行われていなかった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。