今は違うことが多いが、自分が子どもだった頃は、8月31日と言えば「夏休み最後の日」だった。
夏休みの宿題をさっさと終わらせる子は関係ないが、中には翌日からの2学期を前に、あわてている子どももいたものだが、自分も例外ではなかった。
そんな夏休み最終日の夕方、なんとか宿題を終わらせてから、市電の写真を撮りに行った。9月30日限りで市電の全面廃止が決まっており、この日に残り1ヶ月を迎えていた。
北大路通にある東本町の電停へ行ってみた。京都駅と烏丸車庫を結ぶ6系統に続いて、外周線を循環する22系統が信号待ちをしていた。
この年の夏は猛暑で、連日のように35℃前後の晴れた日が続いていたが、今と違って熱帯夜はほとんど無かった。たとえ昼間に最高気温が35℃前後になったとしても、朝夕は21~22℃ぐらいが常で、当時は「涼しい朝のうちに勉強しとき(=しなさい)」と親によく言われたものだった。
なぜか、この日は1800型ばかりが姿を見せた。
すっかり日の入りが早くなっており、午後6時を過ぎると急速に暗くなってきていた。そのタイミングに、高野橋の方へ移動した。
当時は露出計の付いていないカメラ(FUJICA35-M、45/2.8)を使っており、シャッタースピードと絞りの組み合わせは、小学生にしてカンに頼っての撮影だった。
既に辺りは暗くなっていたので、感度ASA(→ISO)100のフィルムでは、絞りf2.8の開放にしても、シャッターは1/4ぐらいだろうと思い、流し撮りにチャレンジした。
当時からスローシャッターでの撮影はなぜか得意で、1/8程度であれば、5枚に1枚ぐらいはブレずに写すことが出来た。
その貴重な、ブレずに写せた1コマ。手前にノーヘルの原付バイクが写っているが、当時は原付バイクにヘルメットは義務ではなかった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。