1982年8月21日(土) 山陰線・旧型客車の旅

1982(昭和57)年の夏休みは、「青春18のびのびきっぷ(⇒その後、『青春18きっぷ』に改称)」を使って撮影旅行に出掛けた。
 まずは大垣夜行に乗って東京へ向かい、東戸塚-保土ヶ谷間の撮影ポイントで上り東京行きのブルートレインを撮影。その後、中央東線に乗って上田まで移動して、上田交通の丸窓電車を撮影した。

さらに塩尻から中央西線を経由して名古屋へ行き、京都に戻ったのは夜遅く。しかし、帰宅せずに、そのまま山陰線の夜行鈍行列車「山陰」に乗って、鳥取まで行ってから折り返すという強行軍だった。

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当時の山陰線は、DD51型ディーゼル機関車と、旧型客車の「王国」だった。夜行鈍行「山陰」を倉吉で下車して折り返し、上りの京都方面行きの旧型客車で編成された鈍行を乗り継ぐ。

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単線なので、途中で対向列車とのすれ違いや、特急に追い抜かれるなどで、何度も長く停車する時があった。

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鳥取といった大きな駅では、編成が長くなったり、短くなったりといった連結・解結作業があったり、乗務員の交代などもあって、普通に30分とか1時間停車もあった。

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途中で、下りの寝台特急「出雲」とすれ違った。夏休みということもあり、最後尾の窓からは子どもの姿が見えた。

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キハ82系で編成された大阪発、博多行きの特急「まつかぜ」とすれ違う。この頃、特急「あさしお」や「はまかぜ」はキハ181系に置き換えられていたが、「まつかぜ」だけはキハ82系のままだった。

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香住駅でも長時間停車だったので、下車して、駅の前に出てみた。

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前述の通り、特急「あさしお」や「はまかぜ」は、それまでのキハ82系がキハ181系に置き換えられたばかりだった。エンジンの出力が倍以上になったが、その分、騒音も大きくなったように感じられた。

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この頃は、まだ急行列車も数多く走っており、山陰と大阪を結ぶ「だいせん」、山陰と京都を結ぶ「丹後」などでキハ28・58系がグリーン車も組み込んで行き交っていた。

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旧型客車には、当然のことながら冷房など装備されているはずもなかったが、窓が開け放たれた車内には、爽やかな風が吹き抜けていたし、車内の天井ではいくつもの扇風機が回っており、走ってさえおれば、それほど暑さは感じなかった。

鈍行列車が行き交う中でも、ホームでは駅弁を売っていたし、売り子さんから窓越しに買えたりもした。そんな、昔ながらの「汽車旅」の情景が、まだまだ残されていた時代ではあった。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。