1980(昭和55)年9月末の日曜日、友人たちと早朝から東海道線・神足-山崎間で撮影した後、大阪に移動した。この日は午後から竜華機関区に見学(撮影)に立ち寄る予定だったのだ。
その道中、天王寺駅に立ち寄る。

当時、天王寺駅には、まだ南海電鉄が乗り入れていた。天王寺支線と呼ばれる路線で、天下茶屋と天王寺駅の間、僅か3駅間の2.4kmという短さだった。この後、1984(昭和59)年11月18日に天下茶屋-今池町駅間が廃止になり、本線との接続が切れて、僅か1.3kmの区間となり、完全に孤立した路線となった(*1両編成の電車が2両、存置された)。
歩いて行ける距離の路線を存続する意味が分からなかったが、その残りの区間も、地下鉄堺筋線の延伸開業に伴い、時代が平成に変わった1993(平成5)年4月1日をもって廃止になった。

天王寺駅は、大阪環状線や関西線のある地上ホームと、2階(?)にある阪和・紀勢線方面のホームとに分かれていて、後者は欧州でよく見られるような行き止まりのホームになっていた。これは、元々が別々に開業した鉄道だったという由来によるものだが、同様の構造は上野駅にも見られる。
大阪環状線と関西線が発着する地上ホームには、大阪と奈良を直通することをアピールしたヘッドマークを掲げ、白に朱色の帯をした113系快速が停車していた。

紀勢線に直通する優等列車が発着するホームには、まだ真新しい381系電車の特急「くろしお」と、キハ28・58系気動車の急行「きのくに」が出発を待っていた。

カーブを速く走るため、車体を内側により傾ける「振り子式」と呼ばれる381系は、曲線の多い紀勢線では、その効果も大きかったが、乗客にとっては「乗り物酔い」しやすいこともあって、この当時からあまり評判が良くなかった。

阪和線で使われていた快速の113系は、東海道・山陽線で新快速に使われていた153系ブルーライナーと全く同じ、白にブルーの帯をした塗色だった。

普通列車に使われていた103系は、これも東海道・山陽線を走っていたものと全く同じ、スカイブルー色の車両だった。
103系と言えば、路線別に色を変えた車両が走ることで知られていたのに、153系新快速と同じブルーライナー塗色の113系も含めて、なぜ東海道・山陽線と阪和・紀勢線を走る車両が同じ塗色だったのか、当時でも不思議でならなかった。
ちなみに、113系や103系が導入される前の阪和線を走っていた電車たちは、別の塗色(=緑×クリーム色)だった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。