一昨年前に21年ぶりの優勝(日本一)を果たした阪神タイガースが、一転して開幕から低迷を続けていた1987(昭和62)年の6月、東海道線の山崎-高槻間へ撮影に出掛けた。
梅雨入りして、朝から厚い雲に覆われる中、カメラバッグと三脚を持って、線路沿いを延々と歩いた。
朝のラッシュタイムを迎え、6両編成を2つ連結した新快速用の117系が、快速運用で内側線を通過していく。
続いて、485系の特急「白鳥」の回送列車が姿を見せた。先頭は、北海道から転属してきたクハ485-1500番台だった。
ここで、サントリー前のカーブに移動する。
その「白鳥」は、1時間以上が過ぎてから、大阪発、青森行きとして再び姿を現した。青森に到着するのは、日付が変わる直前の23時台になるので、長い旅路である。一応、青函連絡船に接続しており、さらに函館で乗り継いで、翌日の昼までには札幌に着くことが出来たが、果たして、そんなキツい旅行をする人は、この当時でも殆ど居なかったと思う。
快速運用は、朝夕に新快速用の117系が応援に入る他は、まさに湘南色に塗られた113系の独壇場だった。
今は見ることが出来なくなった国鉄特急色の485系も、当時は見飽きた存在で、1時間に2回以上も姿を見ることが出来た特急「雷鳥」は、気が向いた時にしかシャッターを押さない存在でもあった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。