1987年11月30日(月) 京都駅・その4

鉄道写真を撮り始めた当初は、主に特急やブルートレインを狙ってシャッターを切ることが多かった。
 その後、全国を旅しては、ついでに撮影する機会も多くなった。だから、基本的に撮り鉄に重きを置いているとはいっても、乗り鉄も好きだったと言えるだろう。

芸大に進学してからは、テーマを決めて集中的に撮影する機会も多くなった。1987(昭和62)年は、山陰線の京都口で客車列車をけん引して最後の活躍をするDD51が、その対象の一つとなり、何度も沿線に足を運んだ。

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今では4本ある京都駅の山陰線(=現在は嵯峨野線と呼んでいる)のホームは、この頃はまだ2本だけだった。客車列車も朝夕を中心に数多く走っていたため、機関車を前後で付け替えるのに必要な「機回し線」も健在だった。

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この当時、既に旧型客車は淘汰され、赤い50系と、青い12系が混用されていた。12系の方に関しては、サイドの白線が消された近郊化改造(=デッキに近い部分をロングシート化)された車両と、従来型の車両が入り交じっていた。
 秋から冬、春にかけては関係ないが、暑い夏に関しては、冷房を搭載した12系の方がお客さんには好評だった。

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係員の誘導で、京都駅に到着した客車列車から先頭の機関車が解放され、隣の線路に転線して逆方向の先頭部にまで回送される。この作業を「機回し」と呼ぶのだが、こうした作業は、当然のことながら電車や気動車には必要ない。

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朝夕のラッシュタイムでは、次々と列車が到着するため、折り返しに必要な機回しの時間を少しでも短くすべく、隣の線路に機関車が待機しているケースもあった。列車が到着すると、先頭で機関車の解放作業を行っている間に、待機していた別の機関車を反対側に連結する作業を同時並行して行う訳である。
 今から考えると、なんともコストの掛かることをやっていたものである。

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山陰線ホームの先端に行って振り返ると、右の方にある東海道線の下りホームから亀山ー京都間に朝夕3往復走っていた50系客車の回送がちょうど発車していくところだった。

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しばらくして、山陰線の50系が出発したが、このときにも画面左の方で、またまた亀山-京都間の50系回送が同時に出発していた。

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その後、山陰線ホームには、特急「あさしお」が入線し、キハ181から立ち上る排気ガスがホームに流れ込んだことで、ちょうど差し込んできた朝日の「光の筋」が見えた。

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その「あさしお」の隣に、大阪発、長野行きの特急「しなの」が入線してきた。
 長らく続いていた特急「しなの」の1往復だけの大阪乗り入れも、気が付けば、いつの間にか無くなってしまっていた。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。