1978(昭和53)年の秋に京都市電が全廃になった後、自宅から最も近い所を走る鉄道と言えば、京福電鉄(→1985・昭和60年から叡山電鉄)になった。
地元では昔から「叡電(えいでん)」と親しまれていたが、その名称に合わせるかのように、社名が変わった1980年代半ばの頃、叡山電鉄にはさまざまな車両が在籍していた。
その中でも最大勢力だったのが昭和初期に製造されたデナ21型だった。
かつてはポール集電で有名だったが、1978(昭和53)年に一般的なパンタグラフになり、車体も更新されてしまったが、それでも昔日の面影を残したまま活躍を続けていた。

車内も白熱灯だったものが蛍光灯に変わったりしたが、そこかしこに木材が目立つ車内には、どこか暖かさが感じられた。
冷房が搭載されてなかったので、真夏になると座席の横にある窓だけでなく、運転席側にある窓も全開になっていて、走り出せば爽やかな風が車内を吹き抜けていた。

1980年代半ばの頃は、叡山電鉄の乗客が右肩下がりで減っている時期でもあったが、1989(平成元)年10月に京阪電鉄が参上から出町柳まで延伸開業して直結したことから乗客が一気に上昇に転じ、倍以上に増えた。
しかし、その頃から車両の更新が進み、デナ500、デオ200、デオ300が相次いで姿を消し、最後まで残ったデナ21も1995(平成7)年に姿を消してしまった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。