1981年4月1日(水) 広島駅~瀬野機関区

1981(昭和56)年の春休み、生まれて始めて寝台特急=ブルートレインに乗ることになった。京都から東京発、長崎・熊本行きの寝台特急「みずほ」に乗って、広島で下車。僅か4時間余りの旅だった。

19810401-2
19810401-3

広島駅で下車した「みずほ」は、運転手が交代するため、しばらく停車していた。そのため、先頭まで歩いていき、撮影する時間的余裕があった。
 隣のホームには急行荷物列車が停車していたが、先頭のEF58の後ろには、なぜか訓練車ナヤ11が連結されていた。ナヤ11は「シミュレーション運転台」が設置された、運転士養成用の車両で、3両しかない珍車だった。

19810401-1

今回の目的地である瀬野機関区へ行くために乗る始発列車の出発まで時間があるので、その間、他の列車を撮影する。しばらくして、名古屋発、博多行きの寝台特急「金星」がやって来た。

19810401-4

高速道路が今ほど発達していなかった当時、東海道~山陽線には多くの急行荷物列車が設定されていた。浜松や米原、宮原、広島、下関といった各機関区に所属していたEF58が、その任務にあたっていた。

19810401-5

東京発、大分・(日豊線経由)西鹿児島行きの寝台特急「富士」がやって来た。こちらも、運転席では乗務員の交代が行われていた。

19810401-6
19810401-7

ようやく来た始発電車に乗って、瀬野駅へ移動する。駅を出て、すぐ近くの踏切に行くと、東京発、博多行きの寝台特急「あさかぜ51号」が通過。懐かしさすら感じる、元祖ブルートレインの20系だった。

19810401-8

山陽線の瀬野-八本松間(通称:セノハチ)では、主に貨物列車の最後尾に補助の機関車=補機が付くことで鉄道ファンの間で知られていたが、その補機に使われていたのは、戦前製の旧型電気機関車であるEF53やEF56を改造したEF59型か、新性能型として最初に登場したEF60を改造したEF61-200番台だった。

19810401-9
19810401-10

昔は超特急「燕」の先頭に立っていたEF53も、ギヤ比を貨物用の低速に変更して、片側にはトラ模様の「警戒色」が塗られ、走行中に連結を開放する装置も設置されて、いかめしい面構えになっていた。

19810401-11
19810401-12

新型の電気機関車であれば1両で済みそうなところを、大きな旧型の電気機関車が重連で補機運用にあたっていた訳だが、本来、この戦前製の古いEF59を置き換えるべく登場したEF61-200番台は、重連仕様に問題が生じた上に、かといって1両だけの補機では能力不足であることも判明し、結果的に旧型のEF59は、国鉄がJRになる半年前の1986(昭和61)年10月まで使われ続けた。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。