1980(昭和55)年の9月末の日曜日。すっかり日の出が遅くなり、まだ暗い中、始発の市バスに乗って京都駅に向かい、友人たちと東海道線の神足-山崎間へ撮影に出掛けた。
車内から向日町運転所で待機する特急群を撮影する。後ろには新快速用の153系ブルーライナーの姿も見える。
山崎駅に到着後、撮影地に向かう途中、上りの583系の寝台特急「明星」の回送列車が通過していった。
神足方面へ歩いて行った先の踏切でカメラを構えていると、上りの寝台特急「彗星」の回送列車がやって来た。
続いて、EF61がけん引する急行荷物列車も姿を見せた。元々は特急や急行といった旅客列車をけん引するための機関車だったEF61は、この頃にはEF58に混じって荷物列車を引っ張っている姿しか見られなくなっていた。
当時、2軸貨車が連なった一般貨物列車が数多く走っていたが、EF60やEF65一般型に混じり、真っ黒なEH10もまだいっぱい走っていた。
12系客車に10系の寝台車を連ねた上りの急行「きたぐに」が姿を見せた。この頃、関西発着のブルートレインの先頭は、既にEF58からEF65PFに変わっていたが、急行「きたぐに」や「銀河」では、依然としてEF58の姿が見られた。
まだ真新しい14系15形客車を連ねた上りの寝台特急「あかつき」の回送列車が通過していく。この頃、ダイヤ改正の度に夜行列車が削減されていたが、それでもまだ数多く走っていた。
大阪から博多まで走っていたキハ82系の特急「まつかぜ」の回送列車が姿を見せた。当時は食堂車も連結されており、12両編成という長さだった。
上り外側線を、EH10が単機で通過していく。当時、EH10の中には、EF58と同じく、パンタグラフを下枠交差形のPS22に換装した車両も見られた。
キハ82系の特急「はまかぜ」もやって来たが、「まつかぜ」とは異なり、こちらは6~7両編成という短さだった。
当時、貨物列車の先頭はEF60とEF65が多かったが、見飽きていて、あまりシャッターを切っていなかったが、1つ目のEF60初期型だけは珍しかったのか撮っていた記憶がある。
583系の特急「雷鳥」が姿を見せた。寝台と兼用で向かい合わせのボックスシートだったため、乗客には不評だった583系だったが、見飽きた485系よりは撮影する意欲の湧く存在だった。
コンテナ車を連ねた高速貨物列車のみ、EF66の姿を見ることが出来た。この当時、まさかその後にブルートレインの先頭に立つようになるとは予想もしなかった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。