1990(平成2)年の春、のと鉄道に乗るべく、京都から特急「雷鳥」に乗り込み、金沢駅に降り立った。
ホームの向かい側には、新潟行きの特急「北越」が停車していた。以前は京都でも見ることが出来た「北越」だったので、久しぶりに出会った気分がした。
七尾線方面の乗り場に行くとキハ28・58系の急行「能登路」が出発を待っていた。
まずは、七尾線の終点である輪島まで乗車する。今回は、能登半島の路線を全て乗車するのが目的でもあったからだ。
輪島駅のホームの先には、機関車が客車や貨車をけん引していた時代の「機回し」部分が伸びていたが、既に客車列車も貨物列車も姿を消していて、その役目を終えていた。
のと穴水駅まで戻り、ここから、のと鉄道の能登線に乗車。終点の蛸島駅まで61kmを、2時間ほどもかけて走る。やけにスピードが遅いのは、線路状態が悪いからだった。
後半の半ば辺りに、ロマンチックな駅名で知られる「恋路駅」を通る。帰りに立ち寄る予定なので、車内から駅名標を撮影した。
終点の蛸島駅に着いたが、自分も含めて、降り立ったのは10人に満たなかった。
蛸島と珠洲の間は、列車の本数が少ないので、すぐに折り返す。
先ほど通った恋路駅にて下車。降りたのは、自分の他には、珠洲から乗り込んで来た観光客の女性2人だけだった。
駅の待合室には、思い出日記なる書き込みノートが、なぜか都道府県別にずらりとぶら下がっていた。
駅の周囲には田畑が広がっていた。
近くの海岸には「恋路観音」や「恋路物語」という石碑のある銅像が建っていたが、カモメの白いフンで汚れていたのが哀れに見えた。
帰りの列車、恋路駅から乗り込む乗客は、自分一人だけだった。
隣の松波駅で、対向列車とすれ違った。かつて、「松波→恋路」のきっぷが流行った(?)ことがあったが、現場を訪れてみると、どちらも利用者の少ない、閑散とした駅だった。もちろん、朝夕の通学時間帯は学生でにぎわっていたのかもしれないが…。
能登半島に100kmを超える線路網を擁していた、のと鉄道も、その後、道路網の整備で乗客が減り、赤字が積み重なった結果、2001年4月1日に七尾線の穴水-輪島(20.4km)が、2005年4月1日に能登線の穴水-蛸島(61km)が廃止されてしまった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。