1986(昭和61)年6月、梅雨入りが発表されて早々に「中休み」を迎え、晴れて蒸し暑い日が続いていた頃、大阪の京橋駅から片町線に乗車した。
オレンジ一色に塗られた101系電車に乗り込む。平日の月曜日、ちょうどお昼だったが、意外と電車内は混んでいて、さすが大阪だなと思わされたが、電車が進むにつれて、お客さんは降りる一方だった。
長尾駅に到着すると、今まで乗ってきた電車は、折り返しで片町行きになった。
この当時、電化されていたのは、この長尾駅までで、この先、京都の木津方面へ向かうには、非電化区間を走る気動車=ディーゼルカーに乗り換える必要があったのだ。
向かい側のホームに移動して木津方面行きの到着を待っている間に、次の電車が長尾駅に到着していた。こちらは103系電車だった。当時、非電化区間は本数も少なかった。
やっとキハ35を先頭にした普通列車がやって来た。
ホームに着くと、どっと乗客が降りて来たが、それも一瞬だけだった。何せ、非電化区間は2両編成の短さである。
キハ35の反対側には、キハ48が連結されていた。
片町線の非電化区間で運用されていた2両編成は、通勤型で3扉のキハ35と、近郊型で2扉のキハ47や48のペアで組まれたものが多かった。なぜ、この組み合わせだったのか、今となってはナゾである。
この非電化区間も、その後、1989(平成元)年に電化されたが、電化の支障になるとしてこの区間にあったトンネル2つが開削されて切り通しに変わった。今では福知山線からJR東西線を経て直通する電車が走るようになり、沿線で住宅開発が恐ろしいほどの勢いで進み、この30年余りの間に劇的に変化した。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。