プロ野球のシーズン開幕から、ゴールデンウィークの巨人戦でバース・掛布・岡田のバックスクリーン3連発があるなど、セ・リーグが阪神タイガースの快進撃に沸いていた1985(昭和60)年5月末、奈良県の吉野を訪れた。
奈良の吉野と言えば、麓から山の上の方まで咲き誇るサクラで有名だが、この時期には既に終わっていて、ハルゼミの鳴き声が聞こえる昼下がりの駅は閑散としていた。
駅前にずらりと並ぶ土産物店にも人の姿が無かったが、従業員のものだろうか、バイクやクルマが向かい側に所狭しと並んでいた。
がらんとした改札口。自動改札機の無い光景が、どこか懐かしい。
1928(昭和3)年3月に開業した当時、この吉野駅を建設したのは「吉野鉄道」だったが、その頃の栄華というか、鉄道への期待度を感じさせる広い構内だが、4本もあるホームが全て賑わっていた時代が果たしてあったのだろうか。
大阪あべの橋行きの特急が出発を待っていた。
見た感じ、10人もいない僅かな乗客を乗せて、特急は出発して行った。
この当時からバブル景気のピーク(平成元年の頃)には年間30万人以上が利用していたという吉野駅も、その後は半分以下にまで落ち込んでいたが、ここ数年は外国人観光客の急増で20万人近くにまで回復したという。
しかし、今年は新型コロナウイルスの感染拡大で、再び観光客が落ち込み、利用者数も下がってしまうことだろう。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。