近年、外国人を中心に観光客が激増した京都市内。しかし、1970年代の頃は、それほど観光客が多かった訳ではなく、混んでいるのは桜や紅葉の時期の日曜日ぐらいだった。当時は週休2日制なんて無く、土曜日が休みという訳ではなかったので、遠方からの観光客は限られていた。
2020年に入ってから、新型コロナウイルスの全世界的な感染拡大で、その観光客が一気に激減してしまったが、異常なほど空いてしまった京都の現状を見て、あの頃を思い起こしている京都人は多いのではないだろうか。もちろん、現状は経済的には大ダメージだろうが…。
まだ市内を市電が走っていた、1978(昭和53)年3月に訪れた京都駅。京都駅1番ホームの西端には、山陰線用の「山陰1番」「山陰2番」という2つのホームがあった。その北端には京都郵便局と直結した郵便・荷物ホームがあったが、その後、鉄道による郵便・荷物輸送の廃止に伴って、郵便・荷物用のホームが無くなり、代わりに山陰線のホームは4本に拡張された。さらに、その後、関空特急「はるか」専用ホームも出来たりして、かなり変容した。
客車列車があった当時、機関車の付け替えのために「機回し線」があちこちのホームにあり、山陰線ホームも例外ではなかった。そのため、あちこちに留置されている車両も多く、車両の「並び」がよく見られた。
キハ82系の特急「あさしお」に限らず、この頃の特急はみな絵入りではない「字幕」だった。今では、ヘッドマークの無い特急車両ばかりになってしまった。
当時は昼間にも貨物列車の姿を数多く見ることが出来たが、主要幹線である東海道線の他にも、山陰線や草津線、奈良線にも貨物や荷物列車が運転されており、DD51やDE10けん引の貨物列車を京都駅で見かけることが普通だった。
新快速と言えば、当時は153系「ブルーライナー」ばかりだった。この当時、京都駅から大阪方面に向かう新快速に乗ると、次の停車駅は大阪という潔さ(?)で、高槻や新大阪にすら停車しなかった。
北陸方面へ向かう特急や急行は、基本的に京都駅1番ホーム(現0番ホーム)に停車するが、当時は2番ホームに停車するものもあった。この当時は、大阪発、青森行きの特急「白鳥」も2番ホームを使っていたが、同じ時、1番ホームに何が停車していたかと言えば、EF58がけん引する急行荷物列車だった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。