1982(昭和57)年の春休み、当時の国鉄で画期的な切符が、春休みの期間限定ではあるが、初めて発売された。それは、特急や急行といった料金を必要とする列車(連絡線も含む)でなければ、日本全国どこまで、どれだけ乗っても定額=乗り放題という切符で、今も発売されている「青春18きっぷ」である。
もっとも、初めて発売された当時は「青春18のびのびきっぷ」という名称だった。
これは、中でも「時間があるがお金が無い」大学生や中高生には、とてもありがたい存在だった。発売当初は、一部のマニアックな人しか利用しない感じだったが、その後、広く知れ渡るようになり、一般の利用者も増えていった。
最初に発売された時は、5日分が一冊になっており、8000円だった。最初の発売時には、1日券が3枚と、2日連続で使う2日券が1枚という組み合わせだったが、後に1日券が5枚という内容に変わった。
その「青春18のびのびきっぷ」を初めて使った春休み、まずは京都駅から東海道線に乗って東に向かい、米原機関区に立ち寄った後、豊橋駅へ向かった。当時、愛知県の豊橋駅から長野県の辰野駅との間を結ぶ飯田線は、旧型国電の「王国」となっていて、一部の鉄道ファンに人気だったのだ。
豊橋駅から80系の普通電車に乗り、豊川駅へ。
豊川駅で下車したが、乗ってきた電車は、その豊川駅でED62けん引の貨物列車と交換(=単線のすれ違い)。
豊川駅の駅名標は、なんかクセのある字体で、いかにも「手書き」という感じがした。
このあと、豊橋駅に戻る予定だったので、豊橋行きを待っていると、165系の急行「伊那路」がやって来た。
その後、豊橋駅へ戻るが、その途中、飯田線の下地駅から豊橋駅までの区間は、私鉄である名鉄と線路を共用していることで知られている。しかし、名鉄電車も通る下地駅と船町駅には、国鉄飯田線の電車しか停車しないという、ちょっと不思議なことになっていた。(=国鉄がJRになった今も同じ)
豊橋駅に戻ると、名鉄特急のパノラマカーがホームに止まっていた。
岐阜行きの特急が出発していったが、当時、この辺りの東海道線に新快速は走っておらず、豊橋と名古屋、岐阜を結ぶ路線で国鉄と名鉄が競合しているにも関わらず、関西のような熾烈なライバル関係という感じは見られなかった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。