2012年3月 お別れ・寝台特急「日本海」

2012(平成24)年3月初旬、日本海沿いを縦走して大阪と青森を結ぶ伝統の寝台特急「日本海」が16日出発の便を最後に姿を消すことが決まり、沿線には連日のようにカメラを手にした鉄道ファンの姿が目立つようになっていた。

廃止になる約2週間前の週末を迎えた3日(土)の朝、東海道線の桂川橋梁の西側にある踏切へ、自宅から自転車に乗って撮影に出掛けた。

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撮影場所の下津林踏切には、既にカメラを手にした子どもたちがいっぱい来ていた。その姿を見て、20年以上前の自分を思い浮かべていた。あの頃は、ブルートレインなんて、いっぱい走ってたのに…と感傷に浸っていると、京都から白浜方面へ直通する381系の特急「くろしお」が通過していった。

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貨物列車の先頭も、EF60はとっくの昔に姿を消し、いつの間にかEF65やEF66ですら珍しい存在になってしまった。東海道線の貨物列車では、EF210が主力の存在になっていて、珍しい存在ではないためか、子どもたちがシャッターを切る様子も無かったが、自分には逆に珍しい存在に映ってしまっていた。長く鉄道写真を撮らない間に、最も変わったのは貨物列車かもしれない。

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いよいよ、青い波のヘッドマークを誇らしげに掲げたEF81がけん引する寝台特急「日本海」がやって来た。

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ブルートレインの愛称の由来である青い車体も、塗装の傷みが目立っていたが、軽やかな客車の走行音と、最後尾の電源車の重厚なエンジン音が、いかにも寝台列車を連想させていた。

そして運行最終日の16日(金)の夕刻、京都駅へ向かった。事前に撮影許可を申請していたものの、少し早めに行ったつもりだったが、既に京都駅0番ホームは、あふれんばかりの人で埋め尽くされていた。始発駅でもないのに、これだけ集まるとは予想もしなかった。

見れば、鉄道ファンだけでなく、背広姿の会社員風の人や、年配の夫婦などの姿もあった。それだけ、長らく関西と東北を結んでいた列車の持つ歴史と愛着を感じさせた。
 そもそも、この寝台特急「日本海」は年間を通じて乗車率が高いことで知られており、今回の廃止を受けて、東北地方の複数の県知事が反対を表明していたほどだ。
 だが、車両の老朽化が進み、乗車率が高いと言っても昔よりは下がっていることもあり、遂に廃止されることとなった。新しい車両を作ることが検討もされなかったのは、時代の流れと言うべきか。

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始発の大阪駅で出発が遅れたらしく、京都駅にも少し遅れて、最終の青森行き寝台特急「日本海」が0番ホームに静かに滑り込んできた。

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1分の停車で、すぐに発車。しかし、昔のように汽笛は鳴らさず、静かに出発していった。
 騒音問題もあってなのか、いつの間にか出発の際や、トンネルや橋梁に進入する時に汽笛を鳴らさなくなった。かつては、京都駅から10km以上も離れた自分の家でも、早朝や深夜には列車出発時の汽笛が聞こえたものだったが、それも思い出の世界になってしまった。

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いつものことだが、最終列車が発車していくと、あちこちから「ありがとう」という声が湧き上がる。お別れ列車の撮影に行く鉄道ファンのことを「葬式鉄」と揶揄する向きもあるが、自分が小中学生の時に見たお別れ列車では、そういう光景を見なかったので、いつの頃からそうなったのかは不明である。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。