まだJRが国鉄だった時代、各地にあった機関区や操車場では、鉄道ファンの見学を許可している所がいくつもあった。
関西地区では、滋賀県の米原機関区と大阪府の竜華機関区が有名で、どちらも特に事前に許可を申請せず、当日に訪れても入ることが出来た。
1980(昭和55)年の秋晴れの日曜日、竜華機関区を初めて訪れた。受付では愛想の良い国鉄職員が「どこから来たんや?」と尋ねてきたのを覚えている。
機関区構内は、電気機関車のゾーンと、ディーゼル機関車のゾーンに分かれており、ディーゼルの方にはDD51の初期型が何両も止まっていた。白帯が前のナンバープレート部分も段差になっておらず、独特の塗り分けなので、すぐに初期型だと分かった。
隣接する貨物ヤードでは、DD13やDE10が忙しそうに入れ替え作業に励んでいた。
ターンテーブルの周りには、ディーゼル機関車たちに混じって、休車中のEF58とEF15が置かれていた。架線が無いので、ここから自力で出るのは不可能だ。
庫内に入り、反対側に回ってみる。思ったほど車体は傷んでいないが、ちらりと見える先台車の車輪が錆びているのが痛々しかった。
別の車庫では、DD13が点検中だった。
構内にサイレンが鳴り響き、お昼休みを迎えると、食事を終えた職員が線路敷の凸凹も気にせず、野球を始めたのには驚かされた。後に、広島の瀬野機関区でも、同じような光景を見た…。
それほど広いとは言えない機関区の構内には、いずれもシールドビーム2灯化されたEF58、EF15、ED60が所狭しと並んでいた。
機関区の中には、職員用の食堂や売店のある建物があったが、自分たちのような見学者も利用することが出来た。食堂のメニューも、自販機で売っているジュースも、エラく安かったので驚いたことを覚えている。
ひとしきり撮影を終えて、久宝寺駅へ。上下線のホームが遠く離れている久宝寺駅のホームへ、当時の主力だった101系がやって来た。
帰り道の車窓から、再び機関区にいるEF15が見えた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。