1986年2月9日(日) 大阪交通科学館

JRがまだ国鉄だった当時、余剰になったり、老朽化で用済み(=廃車)になった車両は、すぐに解体されることが多かった。それは、国鉄車両というのは「国有財産」であるため、不要になれば「鉄屑(くず)」としての利用価値があるため、などと言われていたものだった。
 しかし、その車両に何らかの「価値」があれば、まだ話は別である。歴史的な意味を持つとか、天皇陛下の乗る「お召し列車」けん引などの実績がある場合などの車両は、特別な存在として、大切にされてきたことが多かった。そういう車両は、現場の機関区であるとか、それを管轄する鉄道管理局の指示により、車庫などで長期保管されるケースがけっこう見られた。

まだネットも無い当時、そういう「こっそりと保存」されていた車両は、一部のファンしか存在を知らないものでもあった。1980年代半ばで言えば、例えば京都府の福知山機関区にDD54が、山口県の柳井駅には80系電車が、大分県の豊後森機関区跡にはキハ07がある…といった情報があった。

こうした、廃車になっても保存し続けられた車両の全てが、その後、正式に保存となる訳ではない。実際、例えば関西での場合、ファンに絶大な人気のあったEF58-66号機や、貴重なEF60-503号機などは、長らく保管されていながら、最終的には解体されてしまった。

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1986(昭和61)年2月に、まだ国鉄が運営していた大阪の交通科学館を訪れた際、前述の柳井駅で保管されていた80系電車の2両と、福知山機関区にあったDD54、そして四国での活躍から引退したばかりのDF50が新たに屋外で展示されていた。

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DD54の特徴的なデザインは、撮影位置の高さの違いで、よりはっきりする感じだった。国産ではあるのだが、エンジンがドイツからの技術供与を受けていることもあり、デザインもどこかヨーロッパ的ではある。

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近くにはDF50も置いてあったが、どうやら、これらの車両は暫定的に置かれているようだった。後年、80系は前面の窓枠がHゴムから原型に戻された上に、展示もクハ86とモハ80の2両を繋げた状態に変わった。DD54も、DF50も、その後、屋根付きの場所に変わった。

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ところで、この当時、館内には実物大のEF58レプリカが存在していた。運転台を再現してあり、それなりに人気もあったのだが、その後、いつの間にか姿を消してしまっていた。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。