1987(昭和62)年と言えば、4月1日をもって国鉄がJRに移行した年であるが、急に何もかもが変わる訳でもなく、鉄道ファンの目から見れば、せいぜい車体に「JR」の文字が入ったぐらいの変化しか感じられなかった。
都会ならまだしも、地方へ行けば、まだまだ「国鉄」の風情が色濃く残っており、「JRになって何が変わったの?」という声すら聞かれたものだった。
徳島県の山間にある阿波池田駅は、元々は四国の中心に位置する鉄道の拠点であり、それで発展したような面もあった。しかし、蒸気機関車=SLの給水や付け替えで賑わった駅も「無煙化」で、その必要性が無くなってしまった。昔は多くの機関車や客車、貨車で賑わっていた構内も、この当時にして、がらんとしていた。駅構内の隅の方には、役目を終えた旧型客車たちが放置されていた。
当時、電化された路線の無かった四国では、気動車=ディーゼルカー王国の様相を呈していた。これから乗車する、阿波池田から徳島へ向かう普通列車が首都圏色のキハ20を先頭にホームに滑り込んできた。
2両編成の先頭車であるキハ20に乗り込むが、車内には数人の乗客が乗っているのみ。その訳は、すぐに判明する…。
真夏なのに、冷房の無い車両だったが、動き始めれば開け放たれた窓から心地良い風が車内を通り抜け、それほど暑さは感じなかった。
ちなみにもう1両の方は、冷房を搭載したキハ58だったので、涼しさを求める乗客は、そちらを選んでいたのだった。道理で先頭車のキハ20が、がらがらだった訳だが、かといってキハ58の方も10人も乗っていなかった。
途中駅で、何度もすれ違いがあった。その度に何分か駅に停車する。
気が付くと、先頭車の車内では、自分以外の乗客がいなくなっていた。
途中駅で、増結が行われた。自分が乗っていたキハ20は、先頭者から中間車に変わり、そのまま徳島駅に到着した。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。