1988年3月10日(木) 急行「東海」

今ではJRの線路上から急行という種別の列車は、定期運行されているものは全て絶滅してしまったが、かつては特急を補完する列車として各地で走っていた。
 とはいえ、1964(昭和39)年の東海道新幹線の開業以降、長らく減り続けていたのも事実で、自分が物心ついた頃には、ダイヤ改正が行われる度に急行の本数は減っていた。

東海道新幹線が開業する前の東海道線は、そんな急行列車が昼夜を問わず数多く行き交っていた。当時、特急=特別急行は、文字通り特別な存在であり、限られた線区で、ごく少ない本数が走っているだけで、優等列車と言えば、急行が幅を利かせていた。

しかし、新幹線の開業後、東海道線は一大ローカル線に転落した。特急、急行は他線区からの乗り入れが主体になり、東京と神戸(大阪)を直通するような列車は、夜行列車を除き姿を消してしまった。だが、東京-浜松(のちに静岡)に急行「東海」のみが、かつての栄華を偲ばせる急行列車として長く残っていた。

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その急行「東海」に乗る機会がやって来た。京都から東京行きの0系新幹線「こだま」に乗って静岡駅で下車。

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当時、東海道線の静岡地域には、113系に混じって2両編成の119系が「するがシャトル」という名で走っていた。

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その「するがシャトル」と身延線の富士宮行きが並んだ。本来は長編成の急行用である165系も、この頃には短編成のローカル運用が大半となってしまっていた。

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ホームには見慣れた売店「キヨスク(キオスク)」があった。この頃には、ある程度の大きさの駅では必ずあり、大きな駅にはいくつもあったキヨスクだが、今ではコンビニが駅構内にあったりで、昔に比べるとかなり減ったように感じる。

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目的の急行「東海」がホームに入って来た。11両編成の堂々たる長さで、昔日の急行列車全盛期を思わせる。

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方向幕ではなく、昔ながらの行先表示「板」だが、愛称名が入っていた。本来、愛称板は別であるのだが、昔から盗難が多く、そちらを省略して、こういう形態になったのだろうと思う。

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堂々たる長編成の列車だが、車内はガラガラ。急ぐ人は新幹線に乗る訳で、あえて「急行料金」を払って在来線に乗る人は少ないということを象徴していた。

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