小学校の頃は、お小遣いをやりくりして、月に1回のペースで撮影に出掛けていた自分だったが、カメラが一眼レフになり、自分でモノクロフィルムを現像して焼き付け(プリント)するようになった中学生の時からは、次第にその回数も増えていった。
とはいえ、フィルム代と印画紙代、薬品代も掛かるので、そうバシャバシャと撮る訳にはいかない。そういう意味では、今の時代のような、デジタルカメラでいくら撮影しても大丈夫…みたいな時代は羨ましいが、その分、一枚の写真が持つ「価値」は下がってしまった気がする。あの頃は、たった1枚の写真を撮るにしても、何をどう撮るか、撮影前に吟味していた時間が確実にあって、それも撮影という行為の楽しみの一つだったと思うのだ。
1980(昭和55)年の11月、いつものように東海道線の神足-山崎へ出掛けた。色々な撮影ポイントがある区間だが、当時は畑の中にある撮影ポイントによく行っていて、そこの畑を耕しているおっちゃんと顔見知りになっているぐらいだった。
寝台特急「あかつき」がやって来た。まだデビューしたての14系15形ブルートレインが、いかにも真新しく、ブルーの車体と銀色の帯が輝いて見えた。
寝台特急「明星」が583系寝台電車と、24系25形ブルートレインの両方で運行されていて、しかも当時は合計4本も走っていた。
ブルートレインなどに混じって、北陸線に直通するEF81けん引の一般貨物列車も走っていた。今では貨物列車と言えばコンテナ車ばかりだが、当時は2軸貨車で構成された低速の貨物列車も数多く走っていた。
北陸線に直通する特急「雷鳥」には485系、489系、583系の種類があり、485系もボンネット型、貫通型、非貫通型とあって、実にバラエティに富んでいた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。