大学在学中から仕事をしていたが、その後、名実ともに社会人になった頃、世の中はバブル景気の真っ只中にあった。
当時の若者の多くがそうだったように、高い金利のローンを組んで自分のクルマを購入し、あちこちへ走りに出掛けていた。
買ったばかりのクルマで関東方面へ出掛けた時、横浜市の鶴見区に従兄弟の家があったので、一泊だけお世話になった。
従兄弟の住むマンションは、東海道線+横須賀線の線路沿いにあり、いわば鉄道ファンにとっては憧れの立地だったが、普通の人にとっては「騒音」で敬遠される場所だろう。
その近くには鶴見線も走ってたので、日曜日の昼間に、武蔵白石-大川で単行運転していた旧型国電クモハ12を撮影に行くことにした。
たった1駅間を走る支線の終着駅である大川駅には、古豪のクモハ12が停まっていた。この日は日曜日なので、乗客の姿は殆ど見当たらなかったが、平日だと朝夕は近くの大きな鉄鋼関係の工場で働く人たちが多く行き交う場所である。
ほどなく出発時間を迎えて、吊り掛け台車特有の「ギーッ」というモーター音を響かせながらクモハ12が走って来た。
非貫通構造の端正な顔立ちの前側と異なり、後ろ側は本来は運転台など無かった貫通路スタイルのままである。いかにも後から付けました、みたいな運転台ではある。
時速30キロぐらいだろうか、クモハ12はゆっくりと走り去って行った。この時の撮影から約6年後、この支線のためだけに残っていた1931(昭和6)年生まれのクモハ12の2両(クモハ12052、クモハ12053)は、その後、しばらく揃って保存されていたが、うち1両は解体されてしまい、現在はクモハ12052の1両のみ3つの時代を生き抜き、令和に年号が変わった今も保管され続けている。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。