1980年9月14日(日) 京都駅

時代の変化で、列車の運行形態も移り変わっていく。
 例えば、昭和の頃は、特急から普通に至るまで、その運行本数は今よりも少なく、その代りに一つの列車を構成する編成両数が多かった。

平成に時代が変わり、国鉄がJRに変わろうとする頃から、運行本数を増やす代わりに、一つの列車の編成両数を減らす方策が進められた。かつては12両編成の長さが当たり前だった特急も、9両とかに減らされ、代わりに本数が増えた。
 普通列車も、例えば地方では、それまで1時間に1本、6~8両編成の客車列車が運行されていたものが、1時間に2~3本に運行本数が増やされた代わりに編成は短くなり、2~4両の気動車(ディーゼルカー)といった感じに変わっていった。

乗客の減少していた地方路線を除き、多くの幹線ではダイヤ改正の度に増発が行われ、行き交う列車の数は増えていた。思えば、当時から地方と都市の差は広がっていったと言えるかもしれない。

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1980(昭和55)年9月の日曜日、京都駅を訪れた。
 当時は、今よりも運行本数が少なく、特に昼間になると、京都駅と言えど、のんびりと時間が過ぎていた。ホームの数も今より少なく、構内の配線には余裕があり、あちこちに車両が留め置かれており、この日も快速「近江路」として京都駅で折り返しを待つ165系が7番ホームと奈良線8番ホームの間に止まっていた。

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その真横を、EF65一般型がけん引する一般貨物列車が通過していく。2軸貨車特有の走行音を響かせていたが、EF65の後ろには、当時、次々と運用を終えていたEH10がパンタを下ろして繋がれていた。これは多くが廃車回送であったのだが、情報の少なかった当時は、そのことを知る由も無かった。

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今では、京都辺りでの東海道線を通過する貨物列車と言えば、どちらかと言えば昼間よりも夜に見ることが多くなっているが、当時は2軸貨車を連ねた低速の一般貨物列車が多かったこともあり、昼間でも数多く運行されていた。

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関西と北陸方面を結ぶ優等列車では、定番の特急「雷鳥」に混じって、まだ急行「立山」や「ゆのくに」が活躍していた。

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この頃、京都駅には何両ものEF58を見ることが出来た。留置されているものもあれば、入れ換え作業を行っていたり、あるいは荷物列車をけん引している姿が、ごく普通に見られた。この日は、珍しく旧型客車をけん引するEF58の姿が見られたが、当時の東海道線に旧型客車は定期運行されていなかったので、回送だったのだろう。

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草津線に直通する荷物列車をけん引するDD51の姿もあった。今から思うと、当時は京都駅に行くだけでも、本当にバラエティに富んだ車両を見ることが出来た。

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注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。