1988年3月11日(金)~14日(月) 青函トンネル開業・その2

国鉄がJRに変わって1年が過ぎようとしていた1988(昭和63)年3月、27年の歳月をかけて建設された青函トンネルが開業の日を迎えた。
 その日となる3月13日(日)は、運航最終日を迎えた青函連絡船と、開業初日の青函トンネルの両方で利用が可能という、特異な一日になった。

3月11日(金)の夜、上野駅で最終の寝台特急「ゆうづる」を見送った後、同じ上野発の寝台特急「出羽」に乗って、秋田経由で青森に着いた時は、とっくにお昼を過ぎていた。

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青森駅から青函連絡船に乗るには、その桟橋がある場所まで長い通路を歩いて行く必要があった。

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あちこちに「さようなら青函連絡船」の旗や看板、のぼりが飾られていた。

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この日は21時55分発の八甲田丸に乗ることにしていたが、早く着き過ぎたので、その乗り場にはまだシャッターが降ろされていた。

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列に並び、何時間待っただろうか。ようやく八甲田丸が桟橋に横付けされた。

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船体には茶色い錆が流れて目立っていた。

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中に乗り込むと、この日の日付などが表示された「記念写真」撮影用のスポットが目に入った。

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4時間ほどお世話になる船内。周遊券での利用なので、ごく一般的な普通船室だが、座席の他に、写真のような「雑魚寝」スペースがあって、夜行便ということもあってか、こちらの方が人気だった。

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デッキに上がるとある乗用車を積載するスペースには、青森のテレビ局のクルマしか見当たらなかった。

津軽海峡を進む間、外は真っ暗なので何も見えない。2日連続の車中泊なので、当時20代前半で体力のあった自分でも、さすがに疲れており、あっという間に眠ってしまっていた。

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函館に着くと、この日の夜に出る最終便の連絡船に乗る人たちが、寝袋にくるまったりして並んでいる光景が目に入った。

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一方、函館駅のホームには、青函トンネルの一番電車となる特急「はつかり」が停車していた。その前面には、特別仕様のヘッドマークが掲出されていた。

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駅を出て、函館朝市へ行き朝食を摂る。朝市の前にも、青函トンネル開通を祝う看板が飾られていた。

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近くの函館港まで歩いて行き、超望遠レンズを付けたカメラのファインダーを覗くと、「ごくろうさま連絡船」と掲げたタグボートが目に入った。

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ちょうど、十和田丸が出港するところだった。

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テレコンバーターを付けて倍の焦点距離にすると、十和田丸がアップで見えて、お客さんを満載している様子が見えた。

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その後、函館駅に戻ると、ホームには北海道の気動車がずらりと並んでいた。青函トンネルが開通した日だったのだが、この光景は、これまでと何ら変わりない感じがした。

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。