1988年3月11日(金)~14日(月) 青函トンネル開業・その2

国鉄がJRに変わって1年が過ぎようとしていた1988(昭和63)年3月、27年の歳月をかけて建設された青函トンネルが開業の日を迎えた。
 その日となる3月13日(日)は、運航最終日を迎えた青函連絡船と、開業初日の青函トンネルの両方で利用が可能という、特異な一日になった。

3月11日(金)の夜、上野駅で最終の寝台特急「ゆうづる」を見送った後、同じ上野発の寝台特急「出羽」に乗って、秋田経由で青森に着いた時は、とっくにお昼を過ぎていた。

19880312-1

青森駅から青函連絡船に乗るには、その桟橋がある場所まで長い通路を歩いて行く必要があった。

19880312-2

あちこちに「さようなら青函連絡船」の旗や看板、のぼりが飾られていた。

19880312-3

この日は21時55分発の八甲田丸に乗ることにしていたが、早く着き過ぎたので、その乗り場にはまだシャッターが降ろされていた。

19880312-4

列に並び、何時間待っただろうか。ようやく八甲田丸が桟橋に横付けされた。

19880312-5

船体には茶色い錆が流れて目立っていた。

19880312-6

中に乗り込むと、この日の日付などが表示された「記念写真」撮影用のスポットが目に入った。

19880312-7

4時間ほどお世話になる船内。周遊券での利用なので、ごく一般的な普通船室だが、座席の他に、写真のような「雑魚寝」スペースがあって、夜行便ということもあってか、こちらの方が人気だった。

19880312-8

デッキに上がるとある乗用車を積載するスペースには、青森のテレビ局のクルマしか見当たらなかった。

津軽海峡を進む間、外は真っ暗なので何も見えない。2日連続の車中泊なので、当時20代前半で体力のあった自分でも、さすがに疲れており、あっという間に眠ってしまっていた。

19880312-9

函館に着くと、この日の夜に出る最終便の連絡船に乗る人たちが、寝袋にくるまったりして並んでいる光景が目に入った。

19880312-10

一方、函館駅のホームには、青函トンネルの一番電車となる特急「はつかり」が停車していた。その前面には、特別仕様のヘッドマークが掲出されていた。

19880312-11

駅を出て、函館朝市へ行き朝食を摂る。朝市の前にも、青函トンネル開通を祝う看板が飾られていた。

19880312-12

近くの函館港まで歩いて行き、超望遠レンズを付けたカメラのファインダーを覗くと、「ごくろうさま連絡船」と掲げたタグボートが目に入った。

19880312-13

ちょうど、十和田丸が出港するところだった。

19880312-14

テレコンバーターを付けて倍の焦点距離にすると、十和田丸がアップで見えて、お客さんを満載している様子が見えた。

19880312-15

その後、函館駅に戻ると、ホームには北海道の気動車がずらりと並んでいた。青函トンネルが開通した日だったのだが、この光景は、これまでと何ら変わりない感じがした。

紙面連載

京都鉄道博物館の学芸員が車両や信号など分かりやすく紹介します。 >>

鉄道関連ニュース

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。