昭和が60年目を迎えた1985年の1月、大阪にある大学を受験するため、京都駅から近鉄京都線の急行に乗り、奈良の橿原神宮前駅へ向かった。
通常、京都から大阪へ行くには、国鉄(現JR)や阪急、京阪を利用して行くのが普通で、その行き先が大阪府南部であっても、多くの人がそのコースで向かうことだろう。
しかし、大阪府南部でも近鉄沿線が行き先である場合は、その近鉄を利用して奈良経由で行けば、結果的に乗り換え回数も少なく、きっぷも1枚で済むので安く行けた。

京都駅を出発した急行は、1時間15分ほどで終点の橿原神宮前駅に到着した。
同じ区間を走る特急を利用すれば1時間で行けるが、近鉄の特急は有料で「特急券」が必要だ。

この頃、京都と奈良方面を結ぶ急行も普通も、見るからに単調な近鉄マルーン一色に塗られた電車で、どれも3両か4両編成で走っていた。既に近鉄京都線の前身である旧奈良電鉄時代の車両の姿は無く、走っている車両にバラエティさはあまり無かった。

橿原神宮前駅から大阪あべの橋へ向かう路線は「南大阪線」と呼ばれ、出自の違いから線路幅が異なっており、乗り換えが必須だった。京都から橿原神宮前までの路線は1435ミリの標準軌だが、南大阪線の方は国鉄と同じ狭軌の1067ミリ幅である。

とはいえ、こちらの路線も、来る電車がどれも近鉄マルーン一色で、見た目には殆ど差が無かったので、よっぽどコアなファンでも無ければ、興味をひかないだろうな、と思った。

この当時は、まだ方向幕を装備した電車は半数あるかないかで、金属製の行き先表示板がバリバリの現役であり、ホームの両端に置き場があった。今だと、この保管方法では簡単に盗難されてしまいそうだが、この頃は珍しいものでもなかったので、こんな感じで済んでいたのだろう。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。