1982年3月29日(月) 豊橋駅

1982(昭和57)年の春休みのこと。ポカポカ陽気に包まれた3月末のある日、京都から東海道線に乗って米原に向かい、米原機関区を見学という名目で撮影した後、さらに東へ移動して、愛知県の豊橋駅へ移動した。
 当時、豊橋駅を発着する飯田線は、旧型国電の楽園になっており、マニア垂涎のスポットだった。

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豊橋駅の飯田線ホームは、ライバルでもある私鉄の名鉄と共用している不思議な構造となっていたが、ちょうど80系が入線してきた。飯田線を走る80系は、車体が全金属製の300番台ばかりだった。

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反対側の先頭は、中間車に103系と同じ形状の運転台を取り付ける改造をした先頭車クハ85が連結されていた。

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行き止まり式ホームの突き当り側にある先頭車には、時刻を併記した行き先表示版が取り付けられていた。が、行き先表示板を取り付けたまま出発する訳ではなく、出発間際に取り外していた。その表示板も、時刻の部分は取り替えられるようになっていた。

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隣に同じ80系の荷物車クモニ83・100番台が入線してきたが、通常の80系電車の方がオレンジ色と緑色の塗り分けである「湘南色」であるのに対して、クモニ83の方は、ブルーとクリーム色のいわゆる「スカ(=横須賀線)色」の塗り分けになっていた。元々は同じ湘南色だったのだが…。

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80系が出発した後、郵便荷物合造車のクハユニ56を先頭にした編成が入線してきた。

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反対側の先頭には、半流線型で車体に凸凹のなかった(=いわゆるノーシル・ノーヘッダー)車体で通称「合の子」と呼ばれていたクモハ53(008号車)が連結されていた。

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こちらの編成は2両編成を2つ連結した4両編成だったが、非貫通扉のクハ47・100番台が間に挟まっていたので、当然、通り抜けは出来ない状態となっていた。

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