1981(昭和56)年の年末、母方の実家があった岡山県倉敷市に家族で帰省した時のこと。
年末年始は、いつもクリスマスには帰省して大晦日まで滞在するのが常だった。親戚が当地で造り酒屋をやっていたこともあり、年末には従業員が総出で餅つきをしたりで、それは賑やかだった。

京都へ帰る日が近付いてきた12月29日、同じように帰省していた従兄弟らと一緒に、祖父に連れられて、近くを走っていた下津井電鉄に乗って下津井駅へ向かい、そこから船に乗って対岸の四国・丸亀へ向かった。日帰りで金比羅山まで観光するのが目的だった。
この日の朝は暖かく、霧が出ていた。濃霧注意報が出ており、真っ白になった瀬戸内海を進む船からは、眺望が全く楽しめなかった。
当時、四国には電化された路線が全く無く、走っている列車と言えば、ディーセル機関車にけん引された客車か貨車、それと気動車だけで、鉄道ファンには「非電化王国」などと言われていた。
当然、特急も急行も気動車ばかりだったが、中でも急行に使われている車両の方は、キハ28・58系が主流なものの、他系列も混じっていて、けっこうバラエティに富んでいた。

普通列車では、まだ旧型客車が活躍していたが、けん引するディーゼル機関車の方は、ちょうどDF50からDE10に置き換えが進んでいる最中だった。

同じ普通列車に気動車も使われていたが、こちらもキハ10系が姿を消そうとしていた頃で、キハ20系や真新しいキハ47系の姿も見られた。
貨物列車も、客車列車も、先頭に見えるのはDE10ばかりだった。まだDF50が使われている筈だったが、なんとも運が悪かった。

しばらく駅近くの踏切で撮影した後、丸亀駅へ移動する。当時は、特急よりも急行の方が本数が多く、この時は一度も特急を見ることが出来なかった。

珍しくキハ26・55系が先頭に立つ急行「うわじま」が姿を見せた。

琴平方面へ向かうキハ20系が先頭に立つ普通列車がやって来たので、それに乗り込む。
丸亀の隣の多度津駅で、車窓からDF50が見えたかと思うと、次には普通列車をけん引するDF50ともすれ違った。もう少し丸亀で待っていたら、ちゃんと撮れたかもしれないが、なにぶんにも祖父や従兄弟と一緒で行動している時なので、それは仕方のないことだった。むしろ、丸亀駅で、しばらく撮影に付き合ってもらっただけでも、ありがたいことではあった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。