1988(昭和63)年の夏休み、青函博覧会の開催に合わせて復活運航された青函連絡船に乗って北海道入りし、夜行快速「ミッドナイト」で札幌に移動した翌日、函館線で復活運転していたSL・C62-3号機の撮影に行った。その後は通称:山線経由で長万部に移動した。
当時、北海道の全域で首都圏色と呼ばれる朱色に塗られたキハ22が大活躍していたが、既に老朽化が進行していて、この後、次々と姿を消していった。
そのキハ22は両運転台なので、単行運転でも重宝されていた。
北海道は農業も漁業も盛んなので、貨物列車が数多く運転されていて、見慣れぬボギー車の有蓋貨物車が何両も連なっていた。
当時はバブル景気の真っ只中で、各地にリゾート列車が運転されていた。この日はトマム・サホロエクスプレスに出会った。
上り、上野行きの寝台特急「北斗星」も姿を見せた。この日は8月末とはいえ、駅の待合室にストーブが設置されているほど肌寒かった。
函館に戻ってから、夕暮れの中、青函連絡船を撮りに桟橋へ向かった。ちょうど羊蹄丸が接岸しようとしていた。
タグボートが横に付き、一気に向きが変わっていった。
この日も多くの乗客が乗り込んでいた。
船体横に描かれた青函連絡船のマークも、この復活運航が終われば見納めになるのだなあと思ったが、この時の半月後、9月中旬の最終運航で再び函館を訪れたのだった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。