1982年9月18日(土)~19日(日) 「はやたま」乗車、紀勢線の旅

今では夜行列車と言えば「風前の灯」で、まさに「絶滅危惧種」という感じになってしまっているが、今から30年以上も前の昭和50年代には、全国各地に数多く走っていた。
 そんな夜行列車は、華々しいブルートレインばかりでなく、一般的な座席車を使った夜行の「鈍行(=普通列車)」も各地を走っていて、中には寝台車を連結しているものもあった。

寝台を自由席という訳にはいかないので、指定券が必要になるのだが、基本的に普通列車には列車名が無い。そこで、寝台車を連結する夜行の普通列車には「愛称名」が付けられた。

京都から山陰本線経由で出雲市と結ぶ夜行の普通列車には「山陰」と名付けられていた。関西では、他に大阪の天王寺から紀勢線経由で新宮とを結ぶ夜行の普通列車には「はやたま」と名付けられていたが、この列車は1978(昭和53)年までは「南紀」という愛称だった。が、その年の10月から特急に愛称を譲り、新たに「はやたま」に改称されていた。

1982(昭和57)年9月、その「はやたま」に乗る機会が訪れた。夏休みに使った「青春18きっぷ」が2日分余っていて、その使用期限の最終日が9月19日の日曜日だったので、その前日、18日の土曜日に「はやたま」に乗りに行くことにした。
 とはいえ、当時は週休2日制ではなく、土曜日も会社は普通に仕事だったし、お昼まで学校の授業もあった。その日、学校から帰宅後、出掛ける準備を済ませてから、京都駅まで市バスで移動して、夕方のラッシュで混み合う東海道線に揺られて大阪駅へ。さらに大阪環状線に乗って天王寺駅へ。

天王寺駅から阪和線の快速に乗って、和歌山駅へ。そこから支線の和歌山市駅へ移動する。実は、「はやたま」には天王寺発とは別に、紀勢線の始発駅でもある和歌山市駅からもたった1両の列車が出ていて、わざわざ和歌山駅で併結して新宮に向かうことになっていたのだ。ちなみに、この和歌山市発の列車は、以前は南海電鉄の難波駅を発車して、和歌山市駅から乗り入れていたらしい。

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和歌山市駅に着くと、DD13を先頭にした2両編成が既に止まっていた。荷物車と普通車の2両で、当然、普通車の方に乗り込むが、なぜか満席で座るところが無い。いや、正確にはあったのだが、一つの座席に2人座れるところを、横になって寝ている人が何人もいたのだ。仕方なく、通路に座り込むことに…。

和歌山駅に付いた「はやたま」から先頭のEF58が離れて行くが、なぜか片パンだった。EF58が転線して、和歌山市駅からの2両を迎えに行くという、不思議な入れ替え作業が始まった。

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併結作業が完了した頃には、日付が変わってしまっていた。ここまで最終列車の意味合いがあったが、いよいよ夜行列車らしくなってきた。

冷水浦駅で、釣りの人たちが大量に下車していき、一気に座席に空きが出て、ここでようやく自分も落ち着いて座れるようになったが、一気に疲れが出て、あっという間に睡魔に襲われた。
 気がつけば、新宮駅への到着のアナウンスまで完全に寝てしまっていた。

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列車は新宮までだが、使用されている客車そのものは、機関車がEF58からDD51に付け替えられた後、列車番号を変えて、そのまま亀山まで行くのだった。だから、乗り換えなくても良かった。

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単線なので、対向列車と交換する度に長い停車時間があった。

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途中で雨が振り始めたので、完全に開け放っていた窓を閉めたが、エアコンが無いので、あっという間に曇り、車窓が楽しめなくなってしまった。

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雨に濡れた亀山駅に着く。かつてはSLで賑わっていたであろう機関区には、DD51が何両も止まっているのが見えた。

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ここからは関西線の2両編成に乗り込む。なぜか通勤型のキハ35と急行型のキハ58が手を組んでいた。

 

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