1985(昭和60)年の春、東北方面を旅した際、青森県の津軽半島を走る津軽線へ乗りに行った。
鉄道写真を撮るので「撮り鉄」である自分だったが、乗る方の「乗り鉄」も同じぐらいか、それ以上に好きだったので、まだ未踏の地へ出掛けることは、撮影以上に興味があった。
津軽線は、今でこそ青函トンネルに繋がるルートとして知られているが、当時はトンネルが出来る前で、単なるローカル線の一つに過ぎなかった。
青森駅で待っていると、真新しいEF81とDE10が重連になった貨物列車が姿を見せた。まあ、重連と言っても、次位機のDE10は単なる回送だったかもしれない。
と思ったら、たった3両の客車普通列車に、これまたEF81が重連で先頭になっていた。こちらは次位機のパンタグラフも上がっているので、間違いなく「重連」だったが、そもそも3両の客車を引っ張るのに重連である必要性は全く無いので、これまた回送を兼ねてだろう。
津軽線の普通列車は、寒冷地仕様のキハ22の2両編成だった。
最近になって「白帯」が追加されたらしく、元から書いてあった表記の上に重なっていた。
終点の三厩駅は、この当時は「みうまや」と読んでいたが、この撮影から6年後の1991(平成3)年に「みんまや」に変わった。地元での津軽弁で聞こえる読み方(音)に近付けた訳だろうが、こういうのは、きっと珍しいケースだろう。
駅前には、これといったものが見当たらず、寂しい感じがした。この当時でも、一日の乗降人員は100人を切っていたが、列車運行上の必要性で、駅員のいる「有人駅」だった。
時刻表などの地図では、津軽半島の先端に近い場所にある駅のように描かれていたが、実際には海なんか全く見えない場所にあった。
近くには、青函トンネルの工事用道路があった。
青森へ戻った後、駅前の食堂で夕食を摂ったが、余りにも味付けが塩っ辛いので驚かされた。
薄味に慣れた関西人の自分には、とにかく塩味がきつく、汁物は殆ど飲むことが出来なかったが、あれから30年以上も経った今も、やはり同じような味付けなのだろうか。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。