1987(昭和62)年5月のゴールデンウィークが明けた頃、用事で京都府中部の丹波町(現京丹波町)の方へ行った。
その帰り道、安栖里駅から山陰線を利用した。
駅に着くと、すぐに京都行きの普通列車がやって来たが、それには乗らなかった。なぜなら、その列車はキハ47系の気動車でありふれていて、次に来るのがDD51が牽引する客車列車だったからだ。
そのキハ47系の普通が停車している間、丹後方面へ向かう急行「丹後」とすれ違った。
当時は特急「あさしお」と同じぐらい、急行「丹後」も同じ路線を走っており、キハ28・58系が大活躍していた。
ホームで待っていると、大出力エンジンの力強い咆哮が聞こえたかと思うと、キハ181系の特急「あさしお」が姿を見せて、そのまま目の前を通過して行った。
1時間以上も待って、やっとのことで次の普通がやって来た。
DD51が牽引する、ブルーの12系客車列車だった。
客車は8両編成だったが、クロスシートが並ぶ車内はガラガラ。
今だと2両編成の電車が、30分おきとかの頻度で走るパターンだろうが、当時は長い編成の列車が1~2時間に1本とかが、よくあるローカル線での運行パターンではあった。
京都へ向かう途中、貨物列車とすれ違った。今では、山陰線で貨物列車を見ることは無くなったが、今年の夏にあった西日本豪雨で広島県内で山陽線の不通が続いている中、伯備線と山陰線経由で、本州と九州を結ぶ貨物列車が一時的に運行されており、カタチとしては期間限定で「復活」している。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。