今から30年前の1987(昭和62)年4月1日に、京阪電鉄の京阪本線・七条-五条-三条の区間が地下化された。
桜の花が咲く鴨川の堤防上を行き交う京阪電車の姿は、その年の春が最後だった。
3月末の日曜日、前日に続いて撮影に行った。前日がモノクロでの撮影だったので、今回はカラーフィルムをカメラに詰めていた。
四条通を横切る踏切も、間もなく見納めになるので、四条通にはカメラを手にした人の姿が目立っていたが、どちらかと言えば、どう見ても鉄道ファンではない人の方が多かった。

小じんまりとした四条駅も、間もなく地下に移るが、この日も普通に日常の光景の中に溶け込んで見えた。

この時、まだサクラは開花していなかった。この年、開花は3月27日だったので、結果的に満開の桜を見る前に京阪電車は地下に潜ってしまった。
この頃、特急と言えば、テレビカー3000系の独壇場だった。

3000系・京阪特急には(基本的に「大阪淀屋橋行き」か「京阪三条行き」しかなかったからか)車体に特に行き先を明示するような掲示も無く、ごくシンプルにハトのヘッドマークが映えて、デザイン的には良かったと思う。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。