山陽本線の兵庫駅から海側へ伸びる、全長2.7kmの小さな和田岬支線は、最後まで旧型客車が活躍していた路線だった。
1986(昭和61)年6月にも撮影に訪れたが、その旧型客車も、1990(平成2)年になって、遂に姿を消すことが決まった。
8月末のある日、買って間もないクルマでドライブがてら、和田岬支線を走る旧型客車を撮りに訪れた。
お別れの日が迫っていたこともあり、駅のホームや沿線にはカメラを構えた鉄道ファンの姿が目立ち、駅員さんらが事故が無いように色々と気を配っている光景が見られた。
前回に訪れた時は、日曜日だったので、乗客の姿は殆ど無かったが、今回は平日の夕方のラッシュタイム。
比べ物にならないほど利用客は多くて、驚かされた。
兵庫駅と和田岬駅との間の道中にある「旋回橋」を渡る列車を撮る。
デッキにある(手動で開け閉めする)ドアだけでなく、車体の真ん中に明けられたドアも開けっ放しになっており、そこから乗客がぶら下がるかのように乗っている光景が見られた。
今は旧型客車と言えど、ドアを完全に閉めなくてはならない法律になっているが、当時はまだドアを開放したまま走ってもOKだったのだ。
この頃、運用されていた列車には、和田岬支線の専用車として座席を殆ど取っ払ったオハ64系のほかに、一般的な旧型客車のオハ46が組み込まれていた。これは、国鉄がJRになる直前に展望車マイテ49が復活した際、一緒に編成を組むために整備された車両の一部で、車内も内装が綺麗に手直しされ、モケットも新しいものに張り替えられていたほどだった。
屋根も明るいグレーに塗装されており、見た目にも目立っていたが、座席が殆ど無くて、床ばかりという内装のオハ64とは、まさに雲泥の差だった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。