1986年2月9日(日) 東海道線・岸辺駅

関西を京都から大阪、神戸へと東西に貫く大動脈とも言える東海道~山陽線は、戦前から複々線だった。
 首都圏でも戦前から複々線の路線はあったが、その多くは路線別と呼ばれる仕組みのものだった。それらは、例えば駅で言えば「A線上り(A線ホーム)A線下り・B線上り(B線ホーム)B線下り」という感じで、路線ごとにホームが分かれており、路線を乗り換えるには、いちいち跨線橋を渡らねばならなかった。

ところが、関西では方向別と呼ばれる複々線で、例えば「下り列車線(=主に優等列車や貨物列車など)【下りホーム】下り電車線(=主に普通電車)、上り電車線【上りホーム】上り列車線」という感じで、ホームが方向別になっていたので、乗り換えの際、いちいち跨線橋を渡る必要が無い仕組みになっていた。

ぞれぞれに利点と欠点があるが、関西では国鉄と私鉄が並行していて、古くからスピード競争が行われていたことも大きいのだろうか、東海道・山陽線の複々線区間は日本一長く、120キロ余りの距離を誇る。

ところで、線路に挟まれたプラットホームのことを「島式ホーム」と呼ぶのだが、この島式ホームの先端部は鉄道写真を撮るには好都合のケースが多い。そのため、昔から条件に恵まれた島式ホームのある駅は、好撮影ポイントとして知られていた。

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東海道線の京都-大阪間では、大阪府吹田市にある岸辺駅が、そんな島式ホームでの好撮影ポイントになっていた。
 自分が高校~大学生だった1980年代半ばの頃は、まだ関西と九州を結ぶ夜行列車=ブルートレインが数多く走っていたので、それらを撮るには好都合の場所だった。

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とはいえ、ブルートレインばかり撮っていた訳でもなく、上の写真のような臨時急行「ちくま・くろよん」も、このときにして既に珍しい存在になっていた。

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当時はフィルムしかない時代だったので、片っ端から撮影する訳にはいかず、基本的に撮影対象は厳選していたが、秒間3コマ程度とはいえ、モータードライブを使っていたので、目当ての列車がくると「連写」していた。
 だから、残り3枚とかになると、とりあえず何でも良いから撮影して、そのフィルムを終わらせ、新しいフィルムに詰め替える、ということはよくやっていた。

ちなみに、最近の若い人には、写真を趣味とする人たちでさえ「モータードライブ(=フィルムの自動巻き上げ装置)」という言葉が通じないということを、最近になって知った…。

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大学に入っても、お金を節約するために、カラーとモノクロを併用していた。だから、フィルム現像代やプリント代が掛からない、今のデジタルカメラの時代は恵まれていると思う。
 でも、デジタルカメラの唯一の欠点は、データが壊れたり、再生機器が無いと写真を見られないことだ。ネガ(ポジ)があれば、とりあえず「絵」が見られるフィルムは、変色のリスクはあっても、物理的にカタチが存在しているが、デジタルは、データそのものを生で見ることは出来ない。
 どちらが良いとか悪いとかは意見の別れるところだが、デジタルで撮った写真もプリントしておいた方が良いのは確かだ。何せ、自分自身、パソコンの「事故」で壊れてしまい、もう見ることが出来なくなったり、消えてしまったデジタル写真データがあるぐらいだから。

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ここまでは、岸辺駅の上りホームでの撮影だったが、反対側の下りホームでも、北陸方面から大阪へ向かう列車が撮影できた。
 こちらはカーブになっているので、また風情が違う。

京都新聞の撮り鉄カメラマン“カジやん”が、1978(昭和53)年から現在に至るまで、京都を中心に日本全国で撮影した鉄道写真を紹介します。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。