関西の鉄道ファン、とりわけ京都在住の鉄道ファンにとって昔から鉄道写真の好撮影ポイントとして知られていたのが、東海道線の山崎-高槻間にある大カーブだ。
サントリーの工場の前にあることから、今では「サントリーカーブ」と呼ばれているが、自分が鉄道写真を撮り始めた1970年代末頃は「山崎の大カーブ」と耳にする方が多かった。それは、かつて京都-山科間にある「山科の大カーブ」と対比しての呼称だったからなのかもしれない。
どちらも今では民家やマンションが立ち並び、どちらかといえば市街地みたいな風景になってしまったが、1980(昭和55)年頃は、まだ周囲に田畑が残り、大きな建物も無く、見晴らしが良かった。
1980(昭和55)年の正月が明けて、当時は15日で固定されていた「成人の日」にカメラを持って始発電車に乗り、山崎へ向かった。
山崎駅に着いても、まだ薄暗く、徒歩で大カーブの撮影ポイントへ急ぎ足で歩いた。
到着してすぐ、寝台特急「彗星」がやって来た。最後尾には20系を改造した珍車のカニ25型が連結されていた。
次第に周囲は明るくなってきたが、その間にも次々と夜行列車がやって来た。この当時、九州各地から関西へ向かう夜行列車は、かれこれ10本ほどもあったので、撮影が忙しかった。そのうえ、限られた枚数のフィルムしかなかったので、厳選して撮影する必要もあった。
だから、EF60やEF65、EF66といった機関車がけん引する貨物列車は、殆ど無視される存在だったし、普通電車なども同じだった。
でも、さすがに当時でも引退がささやかれていたEH10や「新快速」カラーの153&165系は、きっちりと撮影の対象ではあった。
この頃は、まだ望遠レンズを持ってなかったので、大カーブに撮影に行っても、実際には意味が無かった。カーブを曲がってるところの写真を撮るには、少なくとも135ミリぐらいの望遠レンズが必要だった。
だから、この時の写真は、全て標準レンズ(50ミリ)による撮影で、大きく被写体を捉えるには引き付けるしか無く、結局、カーブを曲がり切った後の写真しか撮れなかった。
この当時、九州から関西に向かうブルートレインの先頭は、みなEF58だったが、残念ながらヘッドマークが無く、パッと見では何の列車かサッパリ分からなかった。
寝台特急のヘッドマークは、その後、復活することになるのだが、その頃にはEF58は姿を消してしまっていた。
帰りに、フィルムが余っていたからか、なぜか山崎駅の写真を撮っていた。よく見ると、祝日だったので、駅前に大きな日の丸が掲げてあるが、そんなことよりも、手前のクルマ=スカイラインがどこか懐かしい。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。