いつの時代も電車の運転席の後ろは、鉄道ファンにとって「特等席」だ。
トンネルが続く区間や夜間などを除けば、多くの電車で運転席の後ろに陣取れば、誰でもその前に広がる展望を楽しめる筈だが、1970年半ば(昭和50年代)の頃は、当時の国鉄で労使紛争が盛んだったため、日中でも運転席後ろの窓にカーテンが降ろされている場合があった。
1980(昭和55)年の11月、東海道線の山崎-神足間に写真を撮りに行った帰り道、京都へ向かう普通電車で、いつものように運転席の真後ろに陣取った。
日中で車内は空いていた。神足(現・長岡京)駅を過ぎて、右側に向日町操車場が見えてくると、既に役目を終えて解体を待つばかりのEH10やEF58といった電気機関車が何両も留置してあるのが見えた。
向日町駅で、北陸方面へ向かう急行「ゆのくに」に追い越された。
向日町駅を出ると、当時は桂川駅もなく、次は西大路駅だった。
今も変わらぬ景色の、桂川橋梁を渡る。
その後、大阪行きの特急「雷鳥」や、快速の113系とすれ違った。
京都駅が見えてきた。山陰線ホームには特急「あさしお」が停車しており、1番ホームには先ほど追い抜いて行った急行「ゆのくに」が見える。
京都駅の南側のヤードには、旧型客車が何両も留置してあった。こうして振り返ってみると、この写真を撮った時から36年が経った今、京都駅が見た目にも大きく変貌してしまったことに気が付かされる。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。