日本国内を走る夜行列車は、現在では絶滅寸前にまでなっているが、1980年代半ばの頃は、まだ数多く走っていた。
それも寝台特急だけではなく、寝台急行もあれば、座席しかない夜行の急行列車もあった。その他に、寝台車を連結した夜行の普通列車も存在した。
京都から山陰方面へ向かう列車の中に、その寝台車を連結した夜行の普通列車があった。
京都と出雲市(島根県)を結ぶその列車は、寝台券を指定券(切符)として発行する関係で「山陰」という愛称名が付けられていた。
その夜行普通列車「山陰」も、1985(昭和60)年3月13日に最後の日を迎えた。
運用の関係なのか、その最終列車は出雲市ではなく「米子行き」になっていた。
最終列車といっても、それほど有名な列車ではなかったせいか、一部のマニアックな鉄道ファンが来ていただけだった。
最後尾には、鉄道ファンの誰かが手作りのマークを掲げていた。(注*停車時のみ取り付け)
この「山陰」には10系と呼ばれる古い寝台車が1両、連結されていた。この10系の寝台車も、これで見納めとなった。
お別れを知らせる看板の設置も見当たらず、特別なセレモニーなどは無かったが、駅長さんが見送りに来て、最終列車の機関士と握手した。
ちなみに、上りの京都行き最終列車は、始発の出雲市駅を出発する際、花束を渡したりするセレモニーがあり、機関車にも特別なヘッドマークが付けられていたという。その辺りに、同じ「山陰」という夜行の普通列車に対する存在価値の違いを感じさせられた。
その後、山陰方面と関西、東京を結ぶ夜行列車は次々と姿を消してしまったが、その際にも、同じように都会と地方では、その扱いが違うように思った。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。