国鉄がJRに変わって1年が過ぎようとしていた1988(昭和63)年3月、27年の歳月をかけて建設された青函トンネルが開業の日を迎えた。
その日となる3月13日(日)は、運航最終日を迎えた青函連絡船と、開業初日の青函トンネルの両方で利用が可能という、特異な一日になった。
その前の3月11日にJRでは、全国ダイヤ改正が行われていた。ところが、青函トンネルの開業がダイヤ改正から2日後の13日だったため、それに関連して廃止されたり、運転区間の変更、または新規に走る列車などは、11日以降にそれが行われた。
3月11日の夜、上野駅では廃止されるブルートレイン「ゆうづる」のお別れ出発式が行われていた。客車であるブルートレインと、電車の寝台特急の両方あったのが「ゆうづる」で、そのうち客車を使う列車が姿を消すことになったのだが、それは青函トンネルの開業に合わせて、上野と札幌を結ぶ寝台特急「北斗星」が生まれることになり、そこへ車両を転用するためでもあった。
本来、夜行列車の廃止とかだと、最終列車の出発式はダイヤ改正の前日までに行われるものだが、新ダイヤになった当日になってから最後の運転が行われる(=夜行列車なので、翌12日まで走ることになる)のは、当時でも珍しいケースだった。
そんなお別れの様子を横目に、なぜか自分は寝台特急「出羽」に乗り込んで秋田へ向かった。こちらは静穏そのもので、車内には空席もあった。
秋田から特急「いなほ」に乗り継ぎ、ようやく青森へ。
青森駅のホームでは、テレビ局が中継する準備をしていた。
翌日に青函トンネル開業を控えていたが、その前日も、ごく普通に連絡船と列車を乗り継ぐ人たちの姿が見られたし、貨車の積み込みも行われていた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。