EF58型電気機関車が(動態保存された、ごく一部を除いて)姿を消した後、もっぱら山陰本線のDD51型ディーゼル機関車を撮っていた自分だったが、それも普通客車列車が無くなったことで、これまた殆ど姿を見ることが出来なくなってしまった。
それと歩調を合わせるかのように、鉄道写真への熱が冷めてきてしまい、あまり撮りに行かなくなったように思う。
普通客車列車が廃止され、気動車の天下になっていた山陰本線も、やがて京都府内の全てが電化される時が訪れようとしていた。
そんな1996(平成8)年の2月、たまたま近くを通り掛かる機会があり、山陰本線の和知-下山間のある踏切に立ち寄った。
この頃、ダイヤ改正の度に急行列車が次々と姿を消していたが、山陰本線を走っていた急行「丹後」も例外ではなかった。
1996(平成8)年春の電化に合わせて特急化されることが決まっていて、最後の活躍を見せていた。
この急行「丹後」には、グリーン車が連結されていたが、既にこの頃には「急行のグリーン車」というのが珍しい存在になっていた。
普通列車にも急行に使うのと同じ車両が混じって走っていたが、本来の普通用の気動車は緑色に塗られていて、すぐに見分けがついた。
この区間も、翌月の電化開業を前に既に架線が張られていたが、踏切で待っていると、試運転の特急電車がやって来た。この特急電車(=485系→183系)も、主に阪和線~紀勢本線を走っていた特急「くろしお」から転用されたものだが、つい最近まで活躍していた。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。