今では四国を除く日本全国へ新幹線網が広がったが、1980年代の初めまでは、まだ東海道・山陽新幹線しかなかった。
1980(昭和55)年の春、山陽新幹線が博多まで開業して5年となったのを記念して、「新幹線記念号」が運転されるというので、その発車場所である新大阪駅まで出掛けた。

ホームの上には、あふれんばかりにカメラを手にした鉄道ファンが集まっていた。どう構えても人がフレーム内に入り込んでしまうが、(とりあえず新幹線の姿さえ見えておれば)それもまた状況説明になると思えば、それほど気にはならなかった。

驚いたのは、国鉄職員の皆さんが線路上に降りて記念写真を撮り始めたことだった。今なら、ちょっと考えられないかもしれない。

ここでカラーフィルムに詰め替えて撮り直し。
0系と呼ばれる、新幹線開業当時からの車両は、当時の鉄道ファンの間では意外と人気が無かったように思う。そのためか、その0系が姿を消す時に大騒ぎになっていたのを見て、個人的にはたいそう驚かされた。

ちなみに、この山陽新幹線開業5周年の「新幹線記念号」は、ホームの上にある掲示板には単に「団体列車」と表示されていた。
今の電光掲示なら、きちんと「新幹線記念号」と表示されたかもしれない。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。