大阪と京都を結ぶ私鉄は、阪急と京阪の2社ある。阪急の京都側にある駅は、最初から地下で建設されたが、京阪の方は長く地上にあった。
それが今から30年近く前の1987(昭和62)年5月24日に、七条-五条-三条の区間で地下化された。

京阪の七条-三条間は、主に鴨川の堤防上を走っていた。窓から見える鴨川と、その向こうに見える先斗町の町並みが、京都にやって来た、あるいは京都に帰ってきたのだと思わせたものだが、その線路沿いには桜も植えられていて、春の車窓を彩っていた。

ところが、この路線は、四条通、五条通といった交通量の多い道路を横切っていたため、渋滞の要因となっていた。そのため、線路を地下か高架化して、立体交差にすることが早くから考えられていたが、ついにその日を迎えることとなった。

いよいよ地下化を前にした頃になると、あちこちにカメラを構えた鉄道ファンの姿が目立っていた。

自分の場合、祖父母が阪急沿線に住んでいたこともあり、大阪方面へ向かうのに、どちらかと言えば、阪急を利用することが多かった。だから、京阪にはあまり乗ったことが無く、撮影する機会も少なかった。
今となっては、もう少し記録しておくべきだったと思うが、まさに後の祭りである。

注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。