京都駅から山陰本線に乗り、保津峡を越えると亀岡盆地に入る。
この亀岡盆地は、春と秋を中心に霧が出るので有名だが、住宅建設が進んだ影響なのか、その頻度は昔に比べると減ったと言われている。
国鉄が民営化され「JR」になって半年が過ぎた1987(昭和62)年の晩秋、亀岡駅近くへ撮影に出掛けた。
京都市内の自宅から原付きバイクに乗って出掛けたのだが、保津峡に差し掛かった途端に濃い霧に出迎えられた。視界が効かないので、ゆっくりと走るしかなく、目的地へは大幅に遅れて着くことになってしまった。
まだ電化される前のこと、朝の通勤時間帯には、ディーゼル機関車がけん引する長い客車列車が活躍していた。
前撮りした後、後ろも撮ろうと振り返ったら、なぜか後部にも機関車が連結されていた。
峠を越えるために、後ろに「補機」として連結する路線もあるが、まさかここでは、そういうことは無いだろうから、恐らくは回送代わりか。
次々と通勤列車がやって来るが、その中には急行用の車両(ディーゼルカー)を空いている時間帯に流用しているケースがあった。
再び後ろも撮ろうと思ったら、後ろには一般的な車両が連結されていた。
既に急行運用から引退して混用するケースが各地で見受けられたが、現役の急行用の車両(=しかもグリーン車連結)と通勤用の一般車両を混用するケースは、それほど多い訳ではない。
利用するお客さんも、車内の違いやドア位置の違いなどで戸惑っていたのではないだろうかと思う。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。