渓谷沿いを進む路線は、全国各地にあるが、どこも人気なのは、その車窓が美しいからだろう。
京都から山陰線の列車に乗り、嵯峨(現・嵯峨嵐山)駅を出て、トンネルをくぐると、保津川沿いの渓谷が車窓を彩る。
そんな保津川沿いの車窓も、平成の世の中になったばかりの1989年春、複線・電化というキーワードで姿を消そうとしていた。
その最後の日、雨にも関わらず、原付バイクに跨がり、朝から保津峡駅に向かう自分がいた。
何度も訪れたことのある保津峡駅も、今日でお別れ…と思いきや、告知看板によれば、駅舎や改札口はそのままらしい。まあ、改札口と言っても、無人駅なので、あまり意味は無いのだが…。
だが、改札口からホームまで、かなりの距離がある。その距離500メートル、徒歩にして7分らしく、これだと、時間通りの列車に乗るには、かなり前に駅に着いておかねばならない。
こんなに改札口とホームが離れている駅は、他には山岳を貫く長大トンネルの中にホームがある上越線の土合駅ぐらいだろうか。
遠く視線の先には、複線・電化される新線が見えたが、そこにある保津峡の新駅に行くには、線路沿いの不安定な砂利道を歩く上に、あの白いジグザグ階段を上らねばならないようだった。
電化されれば、姿を消すことになるであろう、ディーゼル機関車牽引の客車列車が、最後の活躍をしていた。
1年ほどして、保津川に架かる橋の上にある新・保津峡駅と近隣道路を結ぶ新たな橋が完成し、この旧・保津峡駅の構内を通ってから、延々と歩くルートは早くも姿を消した。旧・保津峡駅前の吊り橋を渡った先にあった小さな売店も、この時に姿を消した。
だが、この旧・保津峡駅は、この渓谷沿いを通る旧ルートが「嵯峨野観光鉄道」というJR西日本の子会社が経営するトロッコ鉄道に引き継がれ、旧ルート廃止から2年が過ぎた1991(平成3)年の春、再び駅として機能することとなった。しかし、行き違い設備が撤去され、ホームが拡幅されたのと引き換えに、単線になってしまった。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。