京都から大阪の大学に通っていた4年間は、1~2回生の頃は電車、3~4回生の時はクルマだった。いや、たまに自転車で行ったこともあったが、京都の自宅から大阪の大学までは片道100km余りの距離があり、帰りはさすがに疲れてることと、帰宅するのが夜になってしまうこともあり、自転車をバラして袋に詰めて「輪行」した。この頃は、輪行の際に手荷物切符(150円)が必要だった。
通学の足でお世話になった電車は、近鉄だったが、その道のりは長かった。何せ、京都駅まで地下鉄に乗り、近鉄に乗り換えて1時間余りかけて橿原神宮まで行き、そこから大阪・あべの橋行きの電車に乗って、さらに古市で河内長野行きに乗り換えるので、片道3時間近く掛かった。
通常、京都からだと、一旦、阪急か京阪、JRで大阪に出て、そこから地下鉄かJR大阪環状線で天王寺に抜け、そこで近鉄あべの橋から向かうのが普通だったが、それだと定期券が複数必要で高くついた。奈良経由だと、京都市営地下鉄と近鉄の2枚だけで済み、しかも近鉄の学生定期は割引率が高く、その割合は遠距離であればあるほど得をするので、高価な3ヶ月定期も、たったの5日分往復するだけで元が取れた。
そんな近鉄を片道だけで2時間以上も乗る必要があった通学も、鉄道ファンの自分には、そう苦にならなかった。それぐらい、近鉄は「面白かった」からだ。
橿原神宮前からあべの橋へ向かう路線(=南大阪線)は、京都から橿原神宮前へ向かう路線と、線路の幅が異なっていた。前者はJRと同じ狭軌(1067mm)で、後者は標準軌(1435mm)だったので、相互乗り入れは不可能だ。
でも、近鉄車両の工場は、標準軌1435mmの路線である、五位堂車庫にあったので、狭軌の路線を走っている電車は、検査の際に橿原神宮前駅の横にある小さな車庫で、台車を履き替えて工場へ輸送されていた。
そんな近鉄には、大阪と伊勢を結ぶ、魚などの生鮮食料品を運ぶ「鮮魚列車」があったり、時刻表に乗ってない京都-天理を結ぶ臨時特急があったり、鉄道ファンが大喜びしそうなマニアックな世界があった。
そんな変わり種の一つが、「巡回検診車」。一般的には会社の職場などを定期的に訪れるクルマが知られているが、近鉄には駅員や乗務員が診察を受ける「電車」があって、時折、見かけることがあった。
橿原神宮前駅の構内に停まっていた、この車両は、加減速が優れていることで付けられたニックネームが「ラビットカー」の6800系電車だった。
この頃は、まだ主力として活躍していたが、登場したのは1957(昭和32)年のことなので、この時点で既に30年以上が過ぎていたこともあり、少しずつ、その仲間は減っていた。
その車内は、他社の電車に比べて、長い吊り革が特徴的だったが、それは同時代の近鉄電車では定番でもあった。
そして、大学卒業後、数年経った1993(平成5)年に、6800系は全てが姿を消したが、運良くたったの2両だけが三重・岐阜県を走る養老線に転出して、改造・改番されてしまったものの、現在も健在である。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。