青函トンネルをくぐり、函館に到着すると、珍客がホームに停まっていた。
バブル全盛期だった当時、日本各地でリゾート開発がもてはやされていた。そのリゾート地と都市を結ぶ「ジョイフルトレイン」という名の観光列車が北海道に次々と誕生していて(その後、全国に波及)、これは、その一つ「トマム・サホロエクスプレス」だ。
函館駅からは、係留されている青函連絡船「羊蹄丸」が見えていた。
実は、この青函連絡船「羊蹄丸」が、この日の「宿」だった。
1988年3月に廃止された青函連絡船は、その年の夏に青森と函館で行われた博覧会に合わせて臨時運航されることになったのだが、宿泊施設の不足もあって、青森と函館にそれぞれ係留されている連絡船をホテル代わりにするという奇妙な方策がとられた。
一般船室が一泊2500円、寝台は一泊16000円という価格設定だったが、貧乏学生だった自分が選ぶのは当然、前者の方だ。
まだ日が暮れる前に到着したが、船に乗り込めるのは午後7時半からだったので、しばらく駅周辺で時間を潰した。
船内では食堂や喫茶店も営業していたが、それを知らずに駅前でラーメンを食べてしまっていて後悔した。青函連絡船の船内食堂を利用するという思い出作りに失敗した。
当初、利用希望者がいっぱいになり、チケットを手に入れるのさえ大変ではと思われていたのだが、最終日を前にした最後の夜のチケットは意外なほどあっさりと入手することが出来た。実際、この日、船内は全く混雑しておらず、予想外ではあった。
いよいよ明日は、青函連絡船の最終運航日。その日は函館山の上から撮影する予定をしていた。そんな、最後の夜が更けていく…。
注*掲載写真の中には、現在は地形などの変化で撮影することができない場所や、撮影対象そのものが存在しなくなったものも含まれます。必ずしも現状とは一致しませんので、あらかじめご了承ください。